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投手から野手へ転向し優勝の立役者となった雄平選手

2017 8/25 10:07cut
野手
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東北高校時代はダルビッシュ選手とチームメート

高井雄平選手(現雄平)は神奈川県出身ながら高校野球の名門・東北高校(宮城県)に入学する。高校時代の高井選手は、下級生の時からエースナンバー「1」を背負っていたほどの逸材として期待されていた。2年の時の春のセンバツにおいて初めて甲子園に出場。
初戦で関西創価高校と対戦し、完投したものの8失点を被ってしまう。自陣の味方打線は、相手方エース、当時高校生の野間口貴彦選手(元巨人)に封じ込められ、1-8と完敗を喫してしまう。夏の甲子園においては、3年春夏ともに出場できず、高井選手が甲子園に出場できたのは2年の時のこの1回のみとなっている。

また高井選手が3年の時に入学してきたのが、ダルビッシュ有選手(現レンジャーズ)だった。寮で二人は同部屋でもあり、厳しい子弟関係もなかったため、ダルビッシュ選手は「高井くん」と呼んでいたほどだ。

高井選手はプロ入り後に「ダルビッシュが挨拶に来たとき『高井さん』って呼んでくれたので成長したなって思いました」と笑顔で語っている。

コントロールが悪く結果を残せず

東北高校でエースであった高井選手は、高校生ナンバーワン左腕として2002年のドラフト会議でも注目されていた。近鉄、ヤクルトの2球団競合で1位指名でとなり、抽選の末にヤクルトが交渉権を獲得し入団に至っている。近鉄は高井選手を抽選で外した後に外れ1位で指名したのが、坂口智隆選手であった。その後、坂口選手と高井選手は2016年シーズンから、ヤクルトでチームメートとなっている。

ドラフト1位で入団を果たした高井選手は、1年目から27試合(うち17先発)に登板。5勝6敗、102回を投げ防御率5.03の成績を残す。高卒1年目としては及第点の成績ではあったが、リーグ最多となる12暴投など「制球難」があり、安定した投球を見せることはできなかった。打撃面では好調で投手としては申し分ない打率.200(30打数6安打)を記録し、二塁打も2本放っていた。

2年目以降も先発として起用されている高井選手だったが、勝ち星を挙げるものの与四球や暴投も多く、防御率も4点台を下回ることができなかった。2006年、2007年は中継ぎとして起用されるも結果は残せず、出番は減少してしまう。2008年、2009年はわずか1試合の出場にとどまるなど、崖っぷちに立たされていた。

打者転向後、2シーズンは二軍で実績を残す

高井選手に転機が訪れたのは2009年のオフだった。投手としてではなく、打撃を生かすために野手へ転向することになったのだ。
野手として初めて迎えた2010年シーズン、一軍出場を果たすことはできなかったものの二軍で98試合に出場し、打率.283(307打数87安打)、4本塁打、35打点を記録。翌2011年には登録名も「高井雄平」から「雄平」へと期待を込めて変更し、投手時代とは違った姿を見せてくれることに。
「雄平」選手はその期待に応え、2011年は二軍ではあるが、96試合に出場、打率.330(294打数97安打)、5本塁打、31打点の成績を残すことができた。

そして2012年、満を持して雄平選手が野手として一軍に出場する。初めて野手として開幕一軍の座を手にし、47試合に出場。打率.280(143差数40安打)、8打点をマークする。本塁打こそ生まれなかったが上々の野手デビュー年となった。

2013年シーズンは開幕3戦目でスタメン初出場し、シーズン第1号本塁打を放つ活躍を見せる。4月中旬には主軸となる3番を任されるなど順風満帆に見えた。しかし、試合中の故障で戦線離脱したため、シーズンは4月半ばで終わってしまう。リハビリに務めた雄平選手は翌2014年に復活し、キャリアハイの成績を残すことになる。

優勝決定打を放った2015年

2014年シーズンは、野手に転向後、初めてシーズンを通して活躍。141試合に出場し雄平選手にとってキャリアハイをマークした年となる。打率.316(547打数173安打)、23本塁打、90打点の成績を残しベストナインを獲得。2015年開幕前の日本代表対欧州代表戦のメンバーに選出され、代表デビューを飾っている。

その活躍もあり、雄平選手は2015年シーズンの開幕から4番を任されることとなる。しかし、結果を残せずに、4番の座を畠山和洋選手へと明け渡してしまう。雄平選手は5番、6番、7番で起用され、相手先発投手の状況により打順が変わるという扱いになってしまう。

その雄平選手が、このシーズンで最も輝いたのは、10月2日に神宮球場で行われたヤクルト対阪神の一戦だった。ヤクルトは勝つか引き分けるかで2001年以来14年ぶりの優勝が決まるという試合だった。試合は1-1のまま延長戦に突入。迎えた延長11回裏2死二、三塁の場面で雄平選手は、優勝を決めるサヨナラタイムリーヒットを放った。

この一打で雄平選手はナインから手荒い祝福を受けヤクルトは優勝を飾る。シーズンを通しての成績を前年(2014年)と比較すると、数字を落としているが、最後の最後で大仕事をやってのけたのだった。

2014年シーズン成績:打率.316(547打数173安打)、23本塁打、90打点
2015年シーズン成績:打率.270(551打数149安打)、8本塁打、60打点

チームの中心となった1984年生まれ

2016年からヤクルトに坂口選手が加入した。坂口選手は雄平選手と同様に1984年生まれでドラフトも同年である。主砲のバレンティン選手も1984年生まれであり、外野のレギュラー陣が3人揃って同い年という状況となった。

ヤクルトにはこの3人だけではなく、遊撃手の大引啓次選手、マルチプレーヤーの今浪隆博選手、セットアッパーのジョシュ・ルーキ選手とチームの中心的な役割を担う選手達が、雄平選手と同年生まれなのだ。今は2年連続トリプルスリーを達成した山田哲人選手(1992年生まれ)が注目を浴びるヤクルトだが、その他の部分は1984年生まれの選手を中心としたチーム構成となっている。

2016年シーズンは前年の優勝から連覇の期待が掛かったものの、5位に終わり悔しい思いをしている。本年度2017年シーズンは序盤から好調をキープし4番も任されていた。しかし、6月下旬、試合中の故障で骨折し戦線離脱。手術を擁するケガで1年を通して戦うことは不可能となった。これまでも苦難を乗り越えてきた雄平選手が何事もなかったかのように復帰することを待ちたい。