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穴吹義雄監督が率いた南海はどうだった?【球史に名を残した偉人達】

2017 8/3 12:07cut
野球ボールとグローブ
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雪辱を期すも上位浮上はならず

1983年シーズンは一時期3位争いをしたものの、最終的には5位となった穴吹監督。2年目となった1984年も初年度同様に8月に大失速してしまう。前半戦終了時点で4位と上位争いが可能な位置で後半戦を迎えたが、8月上旬に1分けを挟み10連敗を喫してしまい、5位に転落。またしても穴吹監督は夏場の失速で上位浮上とはならなかったのだ。

最終的にこのシーズンは前年より勝ち星を1つ増やしたものの、53勝65敗12分でまたしても5位となる。タイトル獲得、ベストナイン受賞者もいない寂しいシーズンとなった。

穴吹監督3年目となる1985年は、開幕直後に首位に立つなど好スタートを切った。しかし、4月末に4連敗、5月には6連敗を喫すると下位に転落。6月に6連敗を喫し5位に低迷すると、それ以降、上位へ浮上することがなかった。穴吹監督にとって鬼門となっていた8月は、7勝17敗1分とまたしても苦戦を強いられ最下位に転落。最終盤の10月は10連敗を喫し、シーズンを終えることになる。

3年目は44勝76敗10分で初の最下位。1956年に南海へ入団してから30年間に渡りユニフォームを身にまとっていた穴吹監督であったが、責任をとって監督を退任し、現場から退くことになる。

打撃コーチ、二軍監督として結果を残した穴吹氏ではあるが、一軍監督としては結果を残すことができなかった。監督退任後は野球解説者として活躍していたが、1933年生まれと言うこともあり、2017年現在はもはや表に出てくることはない。昭和のプロ野球を支えた1人として、これからも球界を見守っていてほしいものである。

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