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三原脩監督が大洋で魅せた「三原マジック」【球史に名を残した偉人達】

2017 8/3 12:07cut
ベンチに野球ボールとバットとグローブ
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開幕6連敗、エースが離脱で始まったシーズン

三原監督が大洋の指揮を執った1960年。開幕戦の相手は中日ドラゴンズだったのだが、試合前の練習中に相手コーチのバットが、大洋エースの秋山登選手の頭に直撃した。秋山選手は昏倒し、開幕戦を離脱する事故に見舞われた。

その影響でチームは開幕から白星を挙げることができずに、6連敗スタート。エースの離脱、そして6連敗と前途多難なシーズン開幕となった。

しかし、7戦目で初勝利をマークするとそこから3連勝。中旬から下旬にかけては6連勝をマークし、4月を10勝12敗の借金2で凌ぎきる。5月も9勝10敗で乗り切ると6月から優勝へ向けて加速を始めた。6月半ばに近鉄バファローから鈴木武選手を獲得するとチームは調子づき、13勝7敗2分と貯金を作ることに成功した。

7月を10勝10敗で乗り切ると、8月は14勝8敗で貯金を増やす。なかでも8月11日の試合では島田源太郎選手が、史上6人目となる完全試合を達成。優勝へのスパートをかけるきっかけとなった。9月も13勝7敗1分と大きく勝ち越し、10月2日に悲願の優勝を達成した。

夏場以降、チーム調子を上げた要因の一つに投手の分業制が挙げられる。現代野球では珍しくないが、当時は先発完投があたりまえの時代。そのなかで、三原監督は継投策を用い「1人1殺」といった投手起用を行っていた。

その成果もあり、1点差での勝利が34と接戦をものにした。こういった投手起用が「三原マジック」と呼ばれる所以でもある。

日本シリーズでは「ミサイル打線」に完勝!

大洋をチーム創設以来、初となるリーグ優勝に導いた三原監督。日本シリーズの相手は「ミサイル打線」を誇る大毎オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)だった。

初戦から三原監督は「三原マジック」を発動させる。初回1死一、二塁のピンチで4番・山内和弘選手を迎えると先発の鈴木隆選手からエースの秋山登選手へスイッチ。1死を取ったのみで先発投手を交代させる非情ともいえる采配だった。

秋山選手はこのピンチを脱し、以降も9回までスコアボードに0を並べ完封。打線は7回に金光秀憲選手の本塁打による1点のみに終わったが、秋山選手にはそれで十分だった。

2戦目も1戦目同様に接戦で試合が進む。3-2と大洋が1点リードで迎えた8回表、大毎の攻撃。1死満塁のピンチを迎えるとエース秋山選手を投入した。大洋バッテリーはスクイズを警戒し変化球を多投。予想通り敢行された大毎のスクイズを併殺に打ち取り見事勝利をたぐり寄せる。

3戦目も大洋が勝利し迎えた4戦目。5回に大洋が1点を奪い1-0で試合は進む。7回裏、大毎は1死二、三塁のチャンスからスクイズを敢行する。しかし、このスクイズも大洋バッテリーは読んでおり大きくウエスト。打者は必死に食らいついたものの、ファールフライとなり無失点に切り抜けた。その後も両チーム得点が入らないまま試合は進み大洋が勝利し、大洋は4連勝で日本一を達成した。

このシリーズで秋山選手が4連投を果たしており、西鉄時代の稲尾選手を彷彿させる働きを見せている。 三原監督は就任1年目で前年最下位だったチームを日本一へと導いたのだった。

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