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驚異の防御率0.73!藤本英雄選手【球史に名を残した偉人達】

2017 8/3 12:07cut
野球ボールとグローブ
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戦後も変わらぬ活躍で200勝達成

太平洋戦争の影響もあり、国内の情勢が不安定な中で再開された1946年のプロ野球。藤本選手は巨人軍のエースとして戦前と変わらぬ働きを見せる。また、藤本選手は1944年から選手兼任で監督も務めており、巨人の指揮を執っていた。(1946年途中に中島治康監督が復帰し途中で選手に戻っている。)
1946年は21勝(6敗)、防御率2.11の成績を残し自身2度目となる最高勝率、最優秀防御率を獲得。その後、中部日本ドラゴンズ(現中日ドラゴンズ)へ移籍するも1年で巨人へ復帰。
1949年に24勝7敗、防御率1.94で1947年に制定された沢村賞を受賞する。翌1950年にはプロ野球史上初の完全試合を達成するなど、1953年まで5年連続で二ケタ勝利を達成。巨人の主戦投手としてチームを引っ張り1955年で現役を引退。1955年は1勝のみに終わっているが、その1勝が通算200勝目となった。
藤本選手は武器である剛速球とスライダーで勝ち星を積み上げていったのだ。通算防御率1.90は2000投球回以上の投手の中でトップとなっている。
現役引退後は巨人でコーチなどを務めるも、一軍の監督就任はならなかった。1957年にコーチとしてのユニフォームも脱ぎ、アマチュアや球界へ身を投じている。その後、1976年に野球殿堂入りを果たした。
藤本選手は1918年(大正7年)生まれと言うことで名球会参加資格(昭和生まれ以降)はない。しかし、プロ野球史上初の完全試合を達成した選手として名前は永遠に残るだろう。

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