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輝いていた時への復活を目指す浅尾拓也選手

2017 8/3 12:07cut
野球ボール,グローブ
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大学時代に投手としての才能が開花

球界を代表するセットアッパーとして活躍し、落合博満監督時代の中日ドラゴンズを支えた浅尾拓也選手。高校時代までは無名の存在だった。
中学時代は捕手としてプレーしており、愛知県立常滑北高校(現常滑高校)2年時に投手へ転向。高校時代に甲子園出場はなく日本福祉大学に進学している。
その大学時代に投手としての才能が開花し、150キロを超えるストレートを投じるようになる。所属していた愛知大学リーグではノーヒットノーランを記録。一躍、ドラフト候補に名乗り出た。
浅尾選手は愛知県出身ということもあり中日入団を希望。念願叶い2006年の大学生・社会人ドラフトにて3巡目で中日から指名を受け入団に至る。日本福祉大学からのプロ入りは浅尾選手が初めてだった。
プロ入り初年度は先発、中継ぎと両方の役割をこなし19試合(先発5試合)に登板。4勝1敗1ホールド、防御率3.53の成績を残している。しかし、肩の故障があり1年間を通じて登板はできず、オールスター戦以降は2試合の登板に終わってしまった。このように、プロ入り直後から故障に悩まされていたのだ。

開幕投手で白星を手に

2008年シーズンまでチームを支え続けてきたエースの川上憲伸選手が、海外FA権利を行使しアトランタ・ブレーブスへ移籍。先発投手に穴が空いた2009年の中日は、吉見一起選手、チェン・ウェイン選手(現マーリンズ)、朝倉健太選手らが開幕投手を争っていた。その争いに加わったのが前年にセットアッパーとして活躍した浅尾選手だ。
浅尾選手は中継ぎとして2008年に開花。開幕こそ出遅れたものの44試合に登板し3勝1敗1セーブ12ホールド、防御率1.79の成績を残していた。また、岩瀬仁紀選手が北京オリンピックに派遣されている期間中は、守護神に抜擢されている。この結果から、2009年シーズンも岩瀬選手に繋ぐ勝利の方程式としての活躍が期待されていた。
しかし、浅尾選手は先発を希望していたことで他の投手陣と競争を行い、結果を残したことで開幕投手に指名された。迎えた開幕戦では8回1失点(自責0)、無四球、被安打5と好投。勝利投手となり以降もローテーション投手として先発で起用される。
しかし、2戦目、3戦目で4回8失点ノックアウト、7回途中4失点と連敗。その後も柱としての投球はできず、5月半ばに6回5失点で4敗目(3勝)を喫し、中継ぎに配置転換された。
森繁和コーチ(現中日監督)は「先発をあきらめさせるために開幕投手にしたが好投をしたので続けることになった」とも語っている。予想外の好投が先発起用に繋がったのだ。このときに先発としての活躍が長く続けば、中継ぎ投手としての浅尾選手は誕生していなかったかもしれない。

初のタイトルを獲得した日本シリーズで崩れた2010年

前年(2009年)に開幕投手を務めたものの、シーズン序盤で中継ぎに配置転換された浅尾選手。2010年シーズンは開幕から中継ぎとして起用されている。役割は守護神・岩瀬選手の前である8回を投げるセットアッパーだった。
開幕カードから回跨ぎで起用されるなど絶大な信頼を誇り、6月半ばの交流戦終了まで防御率は0点台(0.96)をキープ。交流戦明けに2試合連続失点を喫してしまい1点台となったものの、シーズンを通して安定した投球を披露。
72試合に登板し12勝3敗1セーブ、47ホールド、防御率1.68の成績を残した。この47ホールドは2016年終了現在でも日本記録となっている。また、72試合登板は中日の球団記録(翌年に自身が更新)にもなった。
この浅尾選手の活躍もあり中日はセリーグを制覇。千葉ロッテマリーンズとの日本シリーズに臨んだ。浅尾選手は第2戦、第4戦と無失点リリーフを行ったものの第5戦で痛恨の失点。勝利の方程式が大事なところで崩れ、日本シリーズ史上最長となる5時間43分の激闘を演出してしまった。
第7戦では1点ビハインドの9回表から登板。味方の同点劇で延長に突入すると交代させられることなく4イニング目に突入。しかし、岡田幸文選手に適時三塁打を浴び敗戦投手となってしまっている。

神がかり的な投球を見せた2011年

前年(2010年)に球団史上最多となる72試合に登板し優勝に大きく貢献した浅尾選手。2011年も開幕からセットアッパー務めるが、開幕戦でまさかのサヨナラ負け。前年、日本シリーズでの敗戦に続き自身の登板で連敗を喫してしまった。しかし、その後、浅尾選手は立ち直り、無失点投球を続けていく。
前半戦で39試合に登板し3勝2敗4セーブ、19ホールド、防御率0.68をマーク。完全にリーグを代表するセットアッパーとなった。後半戦で喫した自責点はわずかに1。前年に自身が作った球団記録の72試合登板を更新する79試合に登板し、7勝2敗10セーブ、45ホールド、防御率0.41の成績を残しリーグ連覇に貢献した。
2年連続で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。また、ゴールデングラブ賞も受賞している。先発登板が一度も無い投手による同賞のの受賞は史上初となっている。
2年連続の出場となった日本シリーズではチーム最多の5試合に登板。4戦無失点で迎えた最終戦の第7戦、0-2と2点ビハインドの7回にマウンドへ登ると福岡ソフトバンクホークス・3番の内川聖一選手に決定的となる3点目の適時打を浴びてしまう。
浅尾選手は前年に引き続き日本一を勝ち取ることはできなかった。

復活へ向けて

2010年、2011年と連覇に貢献した浅尾選手だが2012年以降は肩の故障もあり、苦しいシーズンが続いている。年間を通じて活躍できず、2014年は22試合に登板し1勝1敗8ホールド、防御率6.16、2015年は36試合に登板し1勝1敗3セーブ、16ホールド、防御率3.19と全盛期から陰りが見え始めてきた。
2016年はプロ入り以降初めて登板なしに終わってしまった。復活を賭けオフシーズンには、かつてソフトバンクなどで守護神を務め同じように肩を痛めた馬原孝浩氏の元を訪ねている。馬原氏に調整法等を相談し、2017年は開幕一軍を掴み2年ぶりの一軍登板を果たした。
シーズン初登板は無失点で乗り切ったものの、2戦目で1回4失点と打ち込まれ二軍降格。再び這い上がるときを待っている。 中継に光を当てた選手の一人である浅尾選手の復活を期待するファンは多い。再び一軍のマウンドで輝く日が来ることを期待したい。