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アマチュア時代は実績ゼロ!?カープ・薮田和樹の苦労人生

2017 8/3 12:07Mimu
野球ボール,グローブ
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今やチームに欠かせない投手もアマチュア時代は実績ゼロ!?

2017年シーズンの広島東洋カープは、藪田和樹選手がフル回転している。シーズン頭から中継ぎとして活躍し、5月23日までに24試合で3勝1敗、イニング数も27イニングを数え、回跨ぎもOKな便利な中継ぎとしてチームを支えていた。
さらに5月30日にはエースの野村祐輔選手が離脱したことをうけて、急遽代理としてシーズン初先発。5回1失点の活躍を見せ、交流戦の大事な初戦の白星に大きく貢献した。
岡山理科大学附属高校から亜細亜大学を経て、2014年にドラフト2位でカープへ入団した。ストレートの最速は156km/h、落差の大きなフォークも強力だ。5月には結婚を発表し、今もっとも勢いのある選手だろう。そんな藪田選手であるが、実はアマチュア時代には非常に苦労した選手であった。

注目された存在もケガに泣かされ続けた高校時代

藪田選手は、岡山理科大学附属高校時代から本格派投手として既に注目を集めていた。
2年生の春季大会では最速148km/hを記録。コントロールにやや難があるものの、相手打者がことごとくストレートを空振りしている様子からして、相当伸びのあるボールを投げていたようだ。エースは1学年上の九里亜蓮選手であったが、一部のスカウトの間では薮田選手の方が注目度が高かったという。
そんな薮田選手だが、春季大会以降はケガに泣かされる日々が続く。新チームでは主戦投手として期待されていたものの、肘を痛めてしまったために秋季大会での登板はなかった。
また、エースを務めていた石橋史哉さんもスカウト評価が高く、190cmを越える長身から最速138km/hの角度あるストレートが武器の選手だ。打撃でも4番も任されていたほどの逸材で、まさにチームの中心選手であった(のちに東海大学へと進学)。
だが150km/h近いストレートを投げる藪田選手が復活すれば、おそらく彼がエースであっただろう。そうなれば石橋さんの打撃力もさらに活かすことができ、チームにとっても大きな影響を与えることは間違いなかった。
しかし3年生になっても藪田選手の肘は完治せず、更に悪化していったのだ。春に肘の疲労骨折が発覚し、春季大会でも登板なしだった。夏の大会ではなんとか2イニングを投げたものの、まともな実績を残せないまま高校生活が終了してしまった。

大学4年間でわずか3試合のみの登板

高校卒業後は九里選手と同じく亜細亜大学へと進学したが、入学直後にまたもや右肘の骨折が発覚したため、1年の秋には手術を受けている。そこからリハビリと体造りをおこない、大学3年の春になってようやくリーグ戦デビューとなった。初登板は2013年5月14日に行われた駒澤大学戦で、9回裏3-3の同点、2死1塁・2塁という状況で1本出ればサヨナラ負けという非常に緊迫した状況だった。
残念ながら、初球のストレートを外野に運ばれてしまいサヨナラ負け。本人の自責点にはならなかったが、わずか1球でデビュー戦が終了してしまった。だが続く2日後の16日駒大戦にも登板し、そちらは1イニングを被安打0の無失点。最速も151km/hを記録し、高校2年生以来にしっかりとしたピッチングを披露することができた。
さらにチームもリーグ戦優勝を決めたため、6月の全日本選手権にも出場。藪田選手は準決勝の日本体育大学戦に中継ぎとして登板した。3-2と1点リードした8回の裏からリリーフし、残念なことに同点打を浴びてしまったものの、直後の9回表に味方が勝ち越してくれたため勝ち投手となっている。
デビュー戦の状況や全国の大事な場面での登板などを考えると、そのポテンシャルの高さは誰もが認めるところだったのだろう。だが結局、大学での登板はこの3試合だけに終わってしまった。4年生の春に肩を痛めてしまい、また1年間登板なしに終わってしまったのだった。

お母さんが持つ不思議な縁が上位指名につながる

藪田選手が素晴らしいポテンシャルを秘めているのは、間違いなかったと言える。しかしこうして振り返ると、なぜここまで実績のない選手をカープは2位で指名したのか疑問だ。高校・大学の7年間、そのほとんどの期間はケガに泣かされ続けた。そんな選手を下位指名ならともかく、2位で指名するのはいささかリスクが高いようにも思える。
実はそこに、お母さんが持つ不思議な縁が大きく絡んでいた。お母さんは広島でタクシーの運転手をしており、そこにたまたまお客さんとしてカープのオーナーである松田元氏が乗ってきたそうだ。
その際に息子が大学で野球をしていること、かなり早いストレートを投げることを話したところ、松田オーナーが松本有史スカウトに連絡。そして偵察に行った松本スカウトは、藪田選手を一目見た瞬間にそのストレートに惚れ込んでしまったそうだ。
どうしても藪田選手を指名したかったカープは、他球団も藪田選手を下位で指名するという情報を聞きつけると、大胆にも2位で指名することを決意。松本スカウトは亜細亜大学のOBでもあり藪田選手の状況も逐一確認していた。そのためケガの状態が良くなってきたという情報を聞いたうえで、2位指名するに至ったそうだ。

プロ入り後は大きなけがもなく、チームに欠かせない存在に

こうしてプロ入りした藪田選手だが、春季キャンプのブルペン投球が1年ぶりに行う本格的な投球練習という状況であった。3月には2軍戦で初登板を果たすと、そのまま1年間はケガもなく無事にシーズンを終えた。2軍では15試合に登板して6勝1敗 防御率2.50、57回2/3で65奪三振という成績を残している。やはり、藪田選手のポテンシャルの高さはかなりのものだった。
1軍へは6月の終わりに昇格し、7月1日の巨人戦で初登板。5回2失点でプロ初勝利をあげたのだ。ストレートは最速153km/を記録し、全くケガの影響を見せない投球を見せている。その後は5試合に先発したものの、勝ち星を挙げることができなかった。だが、前年全く投げられなかったことを考えると、十分に合格点だろう。
2年目の2016年シーズンも、ケガなく1年間を過ごすことができた。前年同様に7月頃から1軍に昇格し、今度は中継ぎを中心に起用される。8月の終わり頃までは防御率が5点を越えていたが、その後は3試合連続で先発として起用されると、3試合とも6回まで投げ、無失点・無失点・1失点と好投。防御率を一気に2.37まで引き下げた。最終的には3勝1敗 防御率2.61を記録。四球数がかなり多くなってしまったが、期待できる成績を残した。
そして2017年は開幕からフル回転しており、怪我ばかりしていたあの頃の姿はどこにも見えない。今後もチーム事情によって流動的な起用が続く可能性はあるが、チームにとって欠かせない存在であることは確かだ。