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松井秀喜選手の日本時代を振り返る【球史に名を残した偉人達】

2017 6/30 12:56cut
松井秀喜
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長い巨人軍4番への道

松井選手はデビューし2年目からレギュラーを掴み、日本最終年の2002年は当たり前のように4番に定着していた。しかし、その道は決して平坦なものではなくチーム内の競争、自分自身との戦いがあった。
松井選手が入団した当時の巨人には原辰徳選手が在籍し、1994年には落合博満選手が加入。1996年は開幕から4番を任されたものの不振もあり、5月からは落合選手にその座を譲っている。1997年はFAで清原和博選手が巨人入りし、4番は清原選手のものとなっていた。清原選手不在時も広澤克実選手、石井浩郎選手といった他球団で4番を張っていた長距離砲の先輩達が代わる代わる4番に入っている。
1998年も1996年同様に松井選手は開幕4番をつかみ取ったが、1996年と同様に5月から清原選手にその座を奪われている。
このようなチーム内の競争に敗れたこともあり、松井選手が4番に定着したのは意外に遅く2000年となっている。2000年は開幕から4番に座るとその座を譲ることなく年間を通じて4番に座り打率.316、42本塁打、108打点と初めて3割、30本塁打、100打点を記録。1998年以来2年ぶりに本塁打王、打点王の二冠王を獲得した。
以降、2002年の最終戦まで全試合に4番として出場し、海を渡っている。

日本で残した実績

松井選手は1993年にデビューし2002年に海を渡るまで10年間巨人でプレーし、多くの記録を作り、巨人ファンを超えて野球ファンの心を掴んできた。獲得したタイトル、表彰の数を見るとその凄さがわかる。

【日本時代に獲得した主なタイトル、表彰】
首位打者:1回
本塁打王:3回
打点王:3回
最高出塁率:3回
MVP:3回
ベストナイン:8回
ゴールデングラブ賞:3回

三冠王を達成することはできなかったが打撃3タイトルを全て獲得。守備の名手に贈られるゴールデングラブ賞も獲得するなど攻守に優れていたことがわかる。メジャーリーグでの晩年は指名打者が多かったこともあり、守備のうまいイメージを持っていないファンも多い。しかし、日本時代はゴールデングラブ賞を獲得する存在だったのだ。
また、タイトルだけでなく本塁打数でも魅せてくれた。2002年には1986年の落合選手(当時ロッテ)以来となる日本人選手の50本塁打を達成。これ以降、50本塁打を達成する選手は生まれていない。2016年終了時点で最後の達成者が松井選手なのだ。
その50本塁打目は直前にファールフライを打ち上げたものの相手捕手が落球。その後に生まれた運もあったのだ。これが松井選手にとって日本で最後の本塁打となっている。

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