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エースからクローザーへ転向も再びエースとなった涌井秀章選手

2017 6/30 12:56cut
ピッチャー
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2年目以降に飛躍を遂げ沢村賞投手に

1年目は不本意な成績に終わった涌井選手だが、以降は順調にエースへの階段を上っていく。2年目に初の二桁勝利となる12勝を記録し、3年目の2007年には17勝10敗、213回を投げ141奪三振、防御率2.71の成績を残し初のタイトルとなる最多勝を獲得した。分業制が進んだ現代プロ野球界の中では珍しく二桁完投となる11完投をマークするものの、リーグトップではなくダルビッシュ選手の12完投には及ばなかった。
2009年には第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表にも選出され3試合に登板し、防御率2.70をマークし優勝に貢献した。その勢いでシーズンに入り16勝6敗、211.2回を投げ199奪三振、防御率2.30、11完投(4完封)の堂々たる数字を残し最多勝を獲得した。また、同時に沢村賞も受賞し、名実ともに球界のエースへと成長していった。
この年は終盤まで東北楽天ゴールデンイーグルスとクライマックスシリーズを争っていた。大事な局面である8月後半からに楽天の岩隈久志選手(現マリナーズ)と2週連続で投げ合ったエース対決は1勝1敗となったが見るものを魅了した。勝敗以上の熱さを感じさせてくれた一戦であった。
2年目から大きな故障も無くローテーションを回り続けた涌井選手は、2009年の沢村賞を受賞後も2011年まで先発としてチームを支えてきた。その涌井選手に転機が訪れたのは2012年のことだった。

エースからクローザーへ

2012年も今までの実績から開幕投手を務めた涌井選手だったが、その開幕戦で4回6失点とノックアウトしてしまう。以降も勝ち星を挙げることができずに登録を抹消された。ゴールデンウィークに一軍に戻ってきたものの、役割はクローザーへと変わっていた。先発から外れクローザーを任される存在となり、女性問題で謹慎期間があったものの、涌井選手は年間を通じて55試合に登板し1勝5敗30セーブ、3ホールド、防御率3.71をマークした。
この活躍でリリーフの適性があることも示していた。翌2013年は再び先発に戻り開幕から3連勝するが、以降は打ち込まれることも多く、5月半ばの交流戦で3回6失点とノックアウトされ、前年同様にリリーフへと配置転換となった。その後も起用法は一貫せず先発、中継ぎを繰り返しながら終盤はクローザーとなった。
しかし、9月25日の楽天戦から10試合連続登板を果たすなど、先発でのタフネスぶりを中継ぎでも発揮する。また、10月1日から10月6日まで6日間連続セーブの日本記録タイを達成した。この年、涌井援手は45試合に登板し5勝7敗7セーブ13ホールド、防御率3.90の成績を残している。これが西武での最後のシーズンとなった。
シーズン終了後に涌井選手は国内FA宣言を公使し、千葉ロッテマリーンズへと移籍することになる。

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