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金子千尋選手~無名の高校時代から球界最高年俸投手へ!

2017 6/30 12:56cut
野球
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高校時代は無名の存在

日本球界でもトップクラスの実力を持つ沢村賞投手の一人に、オリックス・バファローズ所属の金子千尋選手がいる。

金子選手は小学校時代から投手としてリトルリーグに所属しており、硬式のシニアリーグで初めてカーブを覚えたという。長野商業高校に入学すると、2000年春の選抜高校野球大会に出場し、リリーフとして2試合に登板している。

高校卒業時にはプロから声がかかることはなく、トヨタ自動車にスカウトされ入社した。金子選手は、自分よりすごいピッチャーばかりで自信を喪失したと語るも、コンスタントに140キロを投げられるようになり注目を集めた。

2004年、ヒジの故障があったものの自由獲得枠でオリックスに入団。「打者から見て『なんで打てないんだろう』と思われるような、負けない投手になりたい」と指名直後のインタビューでコメントしている。

この年は、球界再編騒動やドラフトにおける金銭授受問題が発覚するなど、荒れた年となった。しかし、同じ年、東北高校出身のダルビッシュ有選手が日本ハムファイターズに入団するなど、好投手が続々とプロ入りするでも年だった。

オリックス入団後の苦悩

金子選手は、2005年入団時、伸びのあるまっすぐと打者の手元で変化するボールや、下半身のバネなどが評価され、新人ながら期待のかかる投手だった。しかしケガもあり、1年目は一軍で投げられなかった。二軍の投手陣を見ても「どうしてこんなにすごいピッチャーが一軍で投げられないんだろう」と思ったという。それは、トヨタ自動車に入った時にも感じた強い挫折感だった。

その中で三振をとることや、勝ち星を重ねるだけでなく、「負けないピッチング」がエースとしての必要な条件だと金子選手は気づく。そして当時強く憧れ、ピッチングを参考にした投手はソフトバンクホークスの斎藤和巳選手だった。
決して大きく変化するわけではなく、小さく変化する斎藤選手のピッチングに気づき、極論では「変化しない変化球」を目指したという。打者が「変化する」と構えていても、手元で少し変化するだけ、というピッチングを自身で研究したのだ。

二年目のキャンプで、結果が求められる背水の陣だった金子選手は、憧れだったイチロー選手(当時はシアトルマリナーズ所属)と紅白戦で対戦する機会に恵まれた。初球から変化球を投げ、結果はファーストゴロに打ち取った。その後、新聞で「二年目の選手はイチロー選手に対して真っ向勝負すべき」との声が取り上げられた。しかし、イチロー選手には対戦後、「ナイスボール」と声をかけられ、このことが、それまで自信を持てなかった金子選手に前を向く勇気を与えてくれたという。
自分に最も自信のあるボールを投げることが「真っ向勝負」だと思う、と語る金子選手は、イチロー選手に対して最も自信のある変化球を投げたのだった。

一軍昇格からスター街道へ

2年目の2006年、7月に一軍初先発、2007年8月26日の楽天戦では一軍初完封を遂げる。2008年に開幕投手に指名され、7回1失点10奪三振で勝ち投手となった。その後も得意の変化球で勝利を重ねていく。2009年にはオールスターゲームに選出され初出場した。

2010年は17勝8敗、完封は6回。最多勝のタイトルを初めて獲得。 2013年は最多奪三振をマークする。2011年のダルビッシュ選手、田中将大選手以来の沢村賞(シーズンで最も優れた完投型投手に贈られる)の条件を満たすが、2013年は田中将大選手が受賞した。

2014年は16勝5敗、防御率1.98と驚異的な数字を残し、最多勝、最優秀防御率、最高勝率の投手三冠に輝く。最優秀選手、ベストナインに表彰され、ゴールデングラブ賞、最優秀バッテリー賞と次々と賞を総なめする。

日本一の投手としての呼び声も高くなり、2013年に逃した沢村賞をも受賞することになる。しかし「嬉しいが素直に喜べない自分がいる」とし、「優勝できなかったのにリーグMVPは違うんじゃないか」と、この年、チームがリーグ2位に終わった無念を金子選手は受賞後に語った。

幻のノーヒットノーラン

2014年5月、対巨人の交流戦で、9回まで無安打無得点だったが、代打を送られ交代した金子選手。延長戦に突入後、巨人のホームランで勝ちを逃し、単独でのノーヒットノーランを成せずに終わる。しかし、この試合は「幻のノーヒットノーラン」とメディアに取り上げられるほど話題になり、自著「どんな球を投げたら打たれないか」でこの経験を分析し、マウンドでの心理学を述べている。

2014年のオールスターゲームに選出された時、インタビューで「ストレートを投げないピッチングをしてみたい」と返答し、「全球変化球宣言」とメディアをにぎわせた。

こうした発言により、金子選手=変化球投手と言うイメージがファンの間に定着したといえる。自身を「選ばれた才能を持つ選手ではなかった」とし、プロの世界で勝てるために、試行錯誤を重ね、変化球を一つずつ身につけることで、球界最高の投手と呼ばれるまでになったのだ。

また、どんな状況になっても、力まずに投げることを常に心がけ、得意な球種は「ない」と金子選手は語る。「七色の変化球」を武器にし、一球にこだわらない。体型や特別な体格に恵まれなくとも、「頭脳派」のイメージが強く、自分について考え続ける努力の投手なのだ。

沢村賞も受賞し、大活躍のシーズンといえる2014年、金子選手はFA宣言し、他球団の評価を受ける機会となった。メジャーリーグを含めた数球団と交渉するが、結果としてオリックスに残留を決めた。

グラウンドを離れるとよきパパに

2007年に結婚すると、プライベートの様子などをインスタグラムにアップし、息子とのデニムジャケット姿、三つ揃いのスーツにインテリ風メガネ、カジュアルな細身パンツ姿にハット、などなど、そのハイセンスなファッションは球界屈指と話題だ。

また、息子相手に野球ゲームで本気を出す姿などもよく知られている。ゲームといえど負けるわけには行かないといったところだろうか。

1983年生まれで2017年シーズン終了後には34歳の誕生日を迎え、ベテランといえる年齢になった金子選手。開幕直後の4月にわずか92球で完封するなど圧巻のピッチングを見せる省エネピッチングを披露し、新たなスタイルでチームを引っ張っていく。 日本球界に新風をもたらしたピッチャーとして、さらなる活躍に期待したい。