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1995年のボビー・バレンタイン監督【球史に名を残した偉人達】

2017 6/28 09:44cut
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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監督とGMの間で起きた確執

1995年シーズンにバレンタイン監督は10年ぶりのAクラスとなる2位を確保。チームとして大きな躍進を果たしたが、このシーズン限りで解任されてしまう。それは、広岡GMとの確執があったからに他ならない。
理由の一つにはバレンタイン監督の「メジャー式」とも取れる休養を入れながらの練習方法と「日本式」の特守、特打といった練習を巡っての対立もあった。
当時ロッテのコーチであった数名はバレンタイン監督のやり方について行けず辞任を申し出ている。これに対し広岡GMは球団オーナーに指示を仰ぎコーチではなく、バレンタイン監督を解任する方針をとったのだ。アメリカではGMが監督を首にすることもよくあるが、日本ではGM制度が根付いていなかったこともあり、広岡GMは監督を首にする権限は与えられていなかった。そのためにオーナーに判断を仰ぐ必要があったのだ。
後にバレンタイン監督は「広岡GMは選手を集めてくることが仕事なのにそれをせず、現場へ口出しばかりしていた」と広岡GMを非難。一方で広岡GMは「バレンタイン監督は現場で汗まみれになりながら選手を指導し勝利に導くのが仕事なのにそれをしなかった」と話している。
どちらが正しいのかはわからない部分もあるが、埋めることのできない溝があったのは確かだ。

シーズン中の出来事も……

結果的に1995年シーズンオフに解任となってしまうバレンタイン監督だが、その伏線は様々だ。バレンタイン監督は選手のモチベーションを上げ、楽しく野球をさせるスタイルを用いてチームを勝利に導いていこうと考えていた。一方で、広岡GMは西武ライオンズ時代に培った管理野球をロッテで実践しようと考えていたのだ。この野球観の相違が後の軋轢の原因となっていまいる。
野球観はどちらが「良い」、「悪い」というものではないが、フロントと現場を預かる監督の方向性が一致していないとチームはうまくいかない。
この年、キャンプでバレンタイン監督は日本では当たり前となっていた猛練習を課すことなく、疲労の残らない形で実施する。広岡GMはキャンプでの猛練習を課さなかったことで不安を覚えたのだ。そして、シーズン開幕から8勝14敗1分と最下位で4月を終えたところで広岡GMは、バレンタイン監督へテコ入れのために練習の増加などの進言を行う。
この際、バレンタイン監督は「2ヶ月待って欲しい」と懇願し猶予期間をもらった。これはチームを率いて初年度と言うことで戦力、選手、コーチの個性を把握し切れていないとの理由からだ。バレンタイン監督の言葉通り5月からチーム状態は上向く。6月終了時点では3位、8月終了時には2位へと順位を上げバレンタイン監督は結果を残したのだ。
しかし、広岡GMはこの結果によしとせず契約期間が残っていたにもかかわらず、バレンタイン監督を解任。シーズン中の現場への進言が受け入れられなかったことが大きな理由と言われている。

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