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横浜高校時代から圧倒的な存在感を放っていた松坂大輔選手

2017 6/28 09:44cut
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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公式戦44連勝!圧倒的な高校3年時

松坂大輔選手は、横浜高校でエースとして甲子園春夏連覇を果たし、世代のトップに君臨した。その戦績は誰もが驚くものとなっている。2年秋に新チームを結成して以降44連勝で1年を終えたのだ。公式戦全勝で終えたチームは1998年の横浜高校しかなく、2017年現在で破られていない大記録になっている。

戦績としては2年秋の明治神宮大会、3年春夏の甲子園、国体と前人未踏となる4冠を達成した。そのときの松坂選手のニックネームは「平成の怪物」だった。

甲子園では激戦も多く奇跡的勝利も見受けられる。特に夏の甲子園では準々決勝のPL学園戦で延長17回の死闘を制すと、翌準決勝では8回表まで0-6と6点のビハインドと敗色濃厚であったにもかかわらず8回、9回で7点を奪い逆転サヨナラ勝ち。そして決勝では京都成章相手にノーヒットノーランと、まさに漫画のような展開で世代のトップに立ったのだ。
この横浜高校時代の同級生には後藤武敏選手、小池正晃選手、小山良男選手らがおり後のプロ野球選手が松坂選手を含めて4人もそろっていたのだ。

そして、その秋のドラフトでは西武ライオンズ、日本ハムファイターズ、横浜ベイスターズの3球団から1位指名を受け抽選の末に西武が交渉権を獲得し入団に至った。

有望選手が多数の松坂世代

松坂選手の生まれた1980年4月2日から1981年4月1日までの世代をいつしか「松坂世代」と呼ぶようになった。その中心に高校時代から君臨するのが松坂選手だ。「松坂世代」と呼ばれる選手達は高卒プロ入り組、大卒プロ入り組、社会人経由でのプロ入り組に分かれており、下記の選手が代表的な選手になる。

高卒プロ入り組では藤川球児選手(阪神)、森本稀哲(もりもとひちょり)選手(元西武他)、實松一成(さねまつかずなり)選手(巨人)、東出輝裕(ひがしであきひろ)選手(元広島)、小池正晃選手(元横浜他)らがおり2017年シーズンでは松坂選手の他に藤川選手、實松選手が現役でプレーを続けている。

大卒プロ入り組では和田毅選手(ソフトバンク)、村田修一選手(巨人)、永川勝浩選手(広島)、館山昌平選手(ヤクルト)、小谷野栄一選手(オリックス)、後藤武敏選手(DeNA)らが現役でプレーを続けており和田選手は松坂選手同様にメジャーリーグにも挑戦した。

社会人経由での入団は杉内俊哉選手(巨人)、久保康友選手(DeNA)、渡辺直人選手(西武)らが現役でプレーしている。

このように多くの選手が松坂選手と同世代で高校、大学、社会人そしてプロで競い合っているのだ。2017年シーズンは37歳となる「松坂世代」の選手達だが、一戦で活躍を続ける選手も多く最後の一花を咲かせることに期待がかかっている。

155キロのデビュー戦

松坂選手は、1999年の開幕から高卒新人にもかかわらずローテーションに入り、先発投手陣の一角として計算されていた。その松坂選手のデビュー戦は開幕4戦目にあたる東京ドームでの日本ハムファイターズ戦だ。
大物ルーキーである松坂選手のデビューは、本拠地である西武球場が予想されており、堤義明オーナーも本拠地でのデビューを望んでいた。しかし、東尾修監督は東京ドームでのデビューにこだわったのだ。これは東京ドームのマウンドの方が松坂選手に合っているとの判断からと後に語っている。

松坂選手はそのデビュー戦で8回2失点、被安打5、与四球3、奪三振9の好投を見せデビュー戦を勝利で飾る。このデビュー戦で最も印象に残っているのは、日本ハムの3番打者である片岡篤史選手に対して投じた155キロのストレートだろう。初回2死走者なしで迎えた片岡選手の打席で、カウント1ボールからの2球目に150キロをマーク。
その後、カウント2ボール2ストライクからの5球目に投じた高めのストレートは155キロをマーク。片岡選手を空振り三振に仕留め、場内からひときわ大きいどよめきが起こった。
このデビュー戦で松坂選手は、プロの世界でも通用することを知らしめることに成功したといえる。

メジャーリーグで唯一輝いた2008年シーズン

松坂選手は西武で8年間プレーし、ルーキーイヤーから3年連続で最多勝をマークするなど108勝をマーク。2001年には沢村賞を獲得するなど投手として多くの実績を残し2006年オフにポスティング制度を用い、メジャーリーグ挑戦を目指す。

松坂選手は最高額となる5111万1111ドル11セントを入札したボストン・レッドソックスに入団が決まり、2007年からメジャーリーガーとしてプレーすることになる。メジャーリーグでの松坂選手はケガが続き、8年で56勝と大きく期待外れに終わってしまう。

失敗に終わった大型契約のランキングにも名前が取り上げられるほどの存在となっており、日本時代とは違い実績を残すことはできなかった。しかし、唯一輝いたと言えるのが移籍2年目となる2008年だろう。2007年インワールドチャンピオンになって臨んだ2008年シーズンは、29試合に先発登板を果たし18勝3敗、防御率2.90の成績をマーク。サイヤング賞投票でも4位に入るなど、一定の成績を残したといえた。

ソフトバンクでの苦悩から復活を目指す

2014年オフにメジャーリーグから日本球界に復帰し、福岡ソフトバンクホークスと3年契約を結んだ松坂選手。このときの契約が3年12億円(推定)となっており大きな期待をかけられていた。しかし、復帰一年目となった2015年シーズンは故障により1試合も登板を果たすことはできず、ファンからの大きな反感を買ってしまった。
迎えた2年目の2016年シーズンは、シーズン最終戦となった東北楽天ゴールデンイーグルス戦に中継ぎとして登板するが1回5失点、被安打3、与四死球4と大炎上。西武時代の同僚でもある松井稼頭央選手との対戦では死球を与えてしまうなど、思うような投球ができなかった。

この結果に満足がいかない松坂選手は、オフシーズンにウインターリーグに参加し4試合で防御率2.70の結果を残し復調の手応えを掴んだ。契約最終年となる2017年シーズンの春季キャンプでは、初日から精力的にブルペン入りを果たし首脳陣に先発ローテーション入りをアピールし、3月25日のオープン戦でも7回まで無安打無得点と好内容を披露。
2017年シーズンは今までと違うということを魅せている。2年間チームに貢献できず活躍ができなかった分、今シーズンの活躍に期待がかかる。