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日本一のサードはこうして生まれた?松田宣浩が残し続けた成長の跡

2017 6/28 09:44Mimu
野球 グローブ
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徐々にプロに対応して1軍のレギュラーに

2007年は前年と違い開幕こそ2軍だったものの、6月から1軍に昇格する。2軍では打率.331に9本塁打と絶好調だった松田選手だが、1軍でも好成績をおさめ、特に8月には月間打率.300も記録した。結局シーズン終了まで1軍に帯同し、74試合の出場で.254(193-49) 7本塁打 22打点と、全体的に成績を向上させる。守備の方ではサードの他にファーストも守り、サードでは失策4つ、ファーストでは失策1つ。三振も35と、前年に比べて大幅に減らした。

2008年からはサードのレギュラーを獲得。142試合に出場し、初めて規定打席にも到達した。成績の方は.279 17本塁打 63打点に加えて、初の2桁となる12盗塁に、リーグ最多となる10本の三塁打を記録。2塁打も33本放ち、中距離打者としての才能が開花した年となった。打順も開幕当初は7番や6番といった下位打線、シーズン後半戦からは5番と、クリーンナップにも抜擢される。
ただ、守備面では17失策と、前年以上のペースで記録してしまった。肩の強さはすでにリーグでもトップクラスだったが、身体能力だけで守備をしているという評価であり、細かいミスも多かったのだ。

1年で2度のケガに泣かされるも、翌年にはリベンジ成功

とはいえ、無事にレギュラーとして定着したのだから、翌年はさらに成績を向上させたいところ。この年からは王貞治監督の後任である秋山幸二監督が就任しており、開幕前から3番サードに指名されるなど、非常に期待が高かったのだが、残念ながら開幕戦で牽制からの帰塁した際に右手の甲を骨折。
6月に復帰も7月にはデッドボールで右手首を骨折して再び登録抹消。2度の骨折で結局47試合しか出場できず、成績も大きく落としてしまった。

それでも、監督の期待は変わらず、翌2010年もサードのレギュラーとして開幕からスタメン出場を果たす。5月4日にはプロ入り初の満塁ホームランを放つなど、その期待に応えていくが、その5日後には左手首を骨折。この2年で3度目の骨折となってしまった。
しかし、1ヶ月後には復帰すると、そのままシーズン終了まで1軍に帯同し、2年ぶりに規定打席に到達。最終的には113試合で.255(424ー108) 19本塁打 71打点 17盗塁という成績を残す。

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