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あのホームラン記録を振り返る!ウラディミール・バレンティンの軌跡

2017 6/28 09:44Mimu
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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WBCではオランダ代表として大活躍だったバレンティン

2017年WBCでは、オランダ代表の4番バッターとして大活躍だったウラディミール・バレンティン選手。.615 4本塁打 12打点を記録し、ベストナインにも選出された。結局日本チームと同じくベスト4という成績だったが、その長打力は世界でもトップクラスにあることを証明した。さすがはNPBのシーズン本塁打記録保持者だけのことはある。2017年シーズンも、その長打力を発揮してくれるだろうか。
今回は期待も込めて、バレンティン選手の来日当初からNPB記録を更新するまでを振り返っていこう。

【2011年その1】当初はチームバッティングを期待されての来日

バレンティン選手は2010年オフにヤクルトスワローズに入団した。当初は肩の強さとチームバッティングを評価されての入団だったそうだ。当時のヤクルトには青木宣親選手(現ヒューストン・アストロズ)以外の外野が固定されておらず、それでいて前年にはアーロム・ガイエル氏、ジェイミー・デントナ氏の両外国人が成績不振により退団。そこで外野を安定して守ることができ、チームバッティングと長打力を兼ね備えたバレンティン選手が入団したのだ。
しかし、いざシーズンが始まると、いろいろな意味で予想外の成績を残した。この年は統一球が導入され、選手たちが軒並みホームラン数を減らす中、1人だけ桁違いの長打力を発揮する。この年は震災もあって4月12日と遅めの開幕だったのだが、それでも4試合目の16日に初ホームランを記録すると、この半月間の間だけで6本塁打を記録したのだ。5月にはさらに絶好調となり、13日には1試合3本塁打を記録。5月は.397 6本塁打 14打点と大爆発し、月間MVPも獲得した。

【2011年その2】後半は大失速もホームランのペースだけは落ちず

しかし、交流戦からは大失速してしまい、6月の月間打率はわずか.167、なんと5月に比べて2割3分も下げてしまう。その後も調子が上がってこず、三振数ばかりが増えていく日々。それでも当たれば大きく、8月には月間打率.203、9・10月も月間打率.180ながらともに6本塁打を放った。打率がどれだけ下がろうと、なぜかホームランのペースだけは落ちないのだ。
最終的にはリーグ唯一の30本塁打に到達してホームラン王を獲得。シーズン通算の打率は.228だったのだが、史上初の打率最下位ながらホームラン王の獲得となった。
ちなみに守備の方でも大味なところを見せ、外野手としては最多の8失策を記録。しかし、肩の強さは前評判通りで、こちらも外野手としては最多の11個の捕殺(送球でランナーを帰した回数)を記録した。範囲は広くはなかったものの、1年間ライトを任せられるだけの守備力はあったかと思う。

【2012年】2年目は成績を全体的に向上

2012年シーズンは前年と打って変わって5月は絶不調だった。開幕こそ好調で、3・4月は打率.308を記録。ホームランも6本打つ。しかし、5月の月間打率は.191ほどしか残せなかったのだ。それでも6本もホームランを打つところが、バレンティン選手らしい。
だが、前年苦しんだ6月には.260 8本塁打、7月には.300 6本塁打を記録し、打率と本塁打を両立する。7月後半にケガをして登録抹消となり、8月をまるまる棒に振ってしまったが、復帰後は再びホームランを量産した。
結局106試合の出場となり、規定打席未到達のまま終わったが、5月以外には大きな不調もなく、31本塁打で2年連続のホームラン王を獲得。規定打席未到達での本塁打王と、2年連続での珍記録を残した。最終的な成績は.272(353-96) 31本塁打 81打点。打席数の少ない中で、四球数も61から64に増え、日本の野球に対応していることがうかがえる。

【2013年その1】実は開幕には出遅れていた

そしていよいよ本塁打記録更新となった2013年だ。実はこの年、開幕に間に合っていなかった。2013年のWBCでオランダ代表に選出されており、試合中のケガで負傷してしまっていたのだ。なんとか4月中旬に復帰し、8本塁打を放つ。
だが、この年の序盤、横浜DeNAベイスターズに所属していたトニ・ブランコ選手が非常に絶好調。バレンティン選手が復帰するまでに6本。4月23日には11号・12号と連発しており、この時点でまだ2本しか打っていないバレンティン選手とは10本以上の差をつけていた。
そのため、バレンティン選手のホームラン数にはあまり注目が集まっていなかったのだ。さらにバレンティン選手は前年同様5月に不調に陥ってしまい、.235という低打率に終わる。それでも6本塁打を記録しており.364 6本塁打と少しペースを落としたブランコ選手に何とか食らいていきいた。
そして、6月に入ってからは完全復活。この月は.377 11本塁打という成績を残し量産体制に入ると、7月も.300 9本塁打という安定した成績。この時点で34号を放っており、ブランコ選手に3本差をつけ、ホームラン王争いでもトップに立つ。しかし、バレンティン選手がすごいのはこれからだった。

【2013年その2】8月に月間本塁打記録を更新!一気に52号へ

8月になると、バレンティン選手のホームランペースはさらに加速していく。8月1日の巨人戦でまず35号が飛び出すと、3日の広島戦では36・37号と2打席連発、4日の広島戦でも2日連続の38号を放ち、なんと4日で4本、1日1本というハイペースでホームランを量産するのだ。さらに10日の中日戦で39号を放つと、11日のDeNA戦では早くも40号に到達。14日の中日戦、16日の阪神戦でそれぞれ41号・42号を放ち、この半月で8本のホームランを放った。
しかし、ここからペースはさらにあがっていく。21日の巨人戦で43・44号2本のホームランを放つと、翌22日の試合でも45・46号と2打席連発、さらに23日の広島戦で47号、25日の広島戦で48号、そして27日の中日戦で49号・50号を放ち、40号を打ってからたった16日間、試合数にして13試合で50号の大台に乗せたのだ。28日の中日戦、30日のDeNA戦でも1本ずつ打ち、52号まで数字を伸ばす。
結局8月だけで1試合2発を4度、合計で18本ものホームランを記録。この数字は従来の月間記録である16本を抜き、一足先にNPB新記録樹立となった。

【2013年その3】本拠地・神宮球場で新記録達成!

そして9月、やはり相手からの四球攻めに合い、ホームランのペースが落ちていく。それでも9月8日に7試合ぶり、9月1本目となる53号ホームランを放つと、10日・11日の広島戦では54号・55号を放ち、1964年の王貞治氏、2001年のタフィ・ローズ氏、2002年のアレックス・カブレラ氏らが記録した数字に並ぶ。特に54号ホームランは、前田健太選手の高めのつり玉を振り抜いた豪快なホームランで、思わず打たれた前田選手が苦笑いするほどの当たりだった。
9月15日、とうとうその日がやって来た。神宮球場で行われた阪神戦、その第1打席。相手先発の榎田大樹選手の甘い球を見逃さずに振り抜くと、打球はそのままバックスクリーンのややレフトスタンドへ。長らく破られなかった日本記録を更新する、56号本塁打となった。さらに、その次の打席でも榎田選手から57号ホームランを放ち、これで李承燁が2003年に打ち立てたアジア記録も更新する。
18日のDeNA戦では58号のホームランを放った後はしばらくホームランが止まるが、9月30日のDeNA戦で久々の59号ホームランを放つと、10月4日の阪神戦で60号ホームラン。結局序盤にホームラン王争いをしていたブランコとは19本差をつけてのホームラン王を獲得。シーズンMNPも受賞した。

【2013年その4】小さな積み重ねが大きな記録を生んだ!

結局2013年の最終的な成績は.330(439ー145) 60本塁打 131打点。四球の数は103となった。残念ながら首位打者と打点王はブランコ選手が獲得となったが、NPBに新たな歴史を作り上げる。だが、ホームランはともかくとして、打率の急上昇も気になるポイントだ。もともとバレンティン選手は研究熱心な選手だった。来日した当初は日本の変化球責めに苦しんでいたものの、時間をかけてこれに対応したのだ。こういった積み重ねも、やはり成績向上のポイントとなったのだろう。
さらに2ストライクに追い込まれてからの打撃も変わっている。足を上げる高さを変え、ミートに徹するようになった(それでもバレンティン選手のパワーなら十分スタンドに運ぶことができるのだが)。1年目よりもずっと確実性が増し、ここまでの打率上昇に繋がったのだろう。持ち前のパワーに、熱心な研究を重ねた結果、ここまでの高打率も残すことができるようになったのだ。

今度はヤクルトを引っ張っていけるか!?

翌2014年はケガなどもあってか112試合の出場にとどまってしまうが、それでも2年連続の3割となる.301(366-110)に31本塁打 69打点を記録する。この成績でも本塁打と打点が前年の半分くらいというのが恐ろしい。翌2015年にはケガでシーズンのほとんどを棒に振ってしまうが、チームは優勝して日本シリーズに初出場する。2016年には再びフルシーズンの活躍を見せ.269 31本塁打 96打点の成績を残した。
シーズンを通して出場することができれば、安定して30本以上のホームランを打っている。打率も1年目以外はなかなかの高水準だ。下半身のケガが多く、守備範囲はかなり狭くなっているが、それでもこの打撃はやはりチームにとって必要だろう。オランダ代表の4番としてチームを引っ張ったように、今度はヤクルトの中心として、チームを導いてほしいものだ。