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千賀滉大ってどんな選手?世界で見せた”おばけ”フォークとは

2017 6/28 09:44Mimu
野球
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おばけフォークの使い手、千賀滉大とは

2017年のWBCで、一躍知名度を上げたのが、福岡ソフトバンクホークスの千賀滉大(せんがこうだい)選手だろう。育成選手出身ながら、日本代表にも選ばれるまでに成長し、さらに登板した各試合では、試合の流れを変えるようなピッチングを披露していた。クールな外見ながら、闘志あふれるピッチング。大舞台でも堂々たるその姿に、全国のファンをわき上がらせる。
そして何より彼を有名にしたのが、代名詞ともいえる「おばけフォーク」だろう。びっくりするほど落差の大きいフォークということで、こう呼ばれるようになった。しかし、パリーグファン、ホークスファン以外の方にとっては、まだまだ情報の少ない選手かと思う。今回は千賀選手について、紹介していこう。

実はドラフトで11人中9番目の評価

千賀選手は、愛知県立蒲郡(がまごおり)高校から、2010年の育成ドラフト4巡目でホークスに入団した。この年ホークスはドラフトで5人、育成ドラフトでは6人を指名しており、合計で11人が入団したのだが、千賀選手はそのうちも9番目ということだ。蒲郡高校も野球部でいえば有名というわけではなく、他球団のスカウトたちも全くのノーマークだった。
なぜ、そんな千賀選手がホークスから指名を受けたのかというと、当時スカウトだった小川和夫氏が、交流のあった愛知県内のスポーツショップ経営者からの推薦を受けて、調査に入ったからだそうだ。しかし、当時から最速144km/hを誇っており、その関節のしなやかさもあってか、小川氏の目には原石のように映っていたのだろう。小川氏にとっても千賀選手にとっても、運命的な出来事となった。
こうして始まったプロの生活だが、2011年の1年目となったシーズンでは、2軍戦にも1試合も登板しなかった。千賀選手をスカウトした小川和夫氏が2軍の監督となり、千賀選手には3軍で基礎体力の強化に努めるよう指示したからだ。しかしその結果、ストレートは150キロを計測するようになり、大幅なパワーアップを遂げた。シーズン終了後にはみやざきフェニックスリーグの試合にも登板し、実績を積んでいく。

2年目ですでに確立されていたピッチングスタイル

2年目の2012年は、シーズン開幕前から好調だった。2軍キャンプの紅白戦で好投を見せると、終盤には1軍キャンプへ呼び出される。実は年始の自主トレ中に中日の吉見一起選手からフォークのコツを教わっており、その精度が大きく向上したのだ。前年の基礎トレーニングで球速がアップしたストレートに、自主トレ中に精度が向上したフォーク。これらは現在の千賀選手の大きな武器になっている。実はあの投球スタイルは、このときから完成していたのだ。
結局オープン戦中に足をひねってしまい、再び2軍へと降格してしまうのだが、2軍でコツコツを結果を積み重ねていくと、なんと4月23日に支配下登録選手に昇格というスピード出世を達成。背番号も育成選手の128から21へと変更された。30日に1軍に昇格し、その日のロッテ戦にプロ初登板初先発を果たす。結果は3回1/3を投げて3失点。被安打・四球ともに4つ与えてしまった。勝ち負けはつかなかったものの、ほろ苦いデビューとなる。
5月11日には再びロッテ戦で2度目の先発のチャンスが舞い込んできる。しかし、今度は味方のエラーも重なって4失点を喫してしまい、1イニングで降板(自責点は2)。チームもそのまま敗北してしまい、プロ初の黒星がついてしまった。結局その後は1軍登板の機会はなく、残りのシーズンを2軍で過ごす。だが、2軍では好調を維持し、1年間先発ローテを守って18試合に登板。リーグ2位の7勝・83奪三振に、防御率1.33で最優秀防御率のタイトルにも輝いた。

おばけフォークがホークスファンに知れ渡った3年目

3年目の2013年は飛躍の年となる。この年から現在でも使用する41に背番号を変更。中継ぎ投手として、開幕1軍に抜擢される。初登板となった3月31日の楽天戦ではいきなり3失点を喫してしまうが、続く4月3日の西武戦からは絶好調。なんとここから6月26日の日本ハム戦まで、約2ヶ月半もの間、無失点で相手を押さえ込んだのだ。
登板試合にして27試合、イニングにして34回1/3、1点も取られなかった。この数字はパリーグの「救援投手による連続無失点イニング」のタイ記録となる。8月以降は疲れが見え始め、救援失敗が目立つようになったが、結局このシーズントータルの成績は51試合に登板して1勝4敗1セーブ17ホールド、防御率は2.40。
だが、やはり特筆すべきは奪三振率だろう。56イニングを投げて85個もの三振を奪ったのだ。奪三振率は驚異の13.58。7月にはオールスターゲームに監督推薦で出場し、2イニングを投げて5つの三振を奪い、敢闘賞も受賞した。
一方で56イニングで27個の四死球を与えてしまうなど、コントロールには課題が見えた。暴投もパリーグ最多の10個。これもおばけフォークの代償というべきものかもしれないが、1流のプロはこれほどのフォークでもしっかりと見極めてしまうのだ。このストレート、フォークをしっかりとコースに投げ分けること、これが千賀選手の課題となった。

少ないチャンスの中でアピールに成功!

2014年はケガに泣かされた年となってしまった。前年と同じく中継ぎとしての起用が続くが、6月に右肩の違和感で登録抹消。結局19試合の登板に終わってしまった。さらに右肩の状態はなかなか上がってこず、12月まで投球練習ができない日々が続く。2015年もリハビリから始まったほどだ。
だが、なんとかケガを完治させ、その後も調整を続けていくと、今度は先発投手へと配置転換することが伝えられる。千賀選手はもともと先発志望だったということで、これは俄然やる気がアップしたことだろう。しかし、この年のホークス先発陣は非常に層が厚く、先発投手では武田翔太選手、攝津正選手、スタンリッジと2桁勝利が3人。さらに中田賢一選手や途中加入のバンテンハーグが9勝と、なかなか千賀選手の入り込む余地がなく、結局1軍の登板は4試合に終わってしまった。
それでも、その中でつかんだ3度の先発のチャンスでは、2勝1敗 防御率0.40と結果を残す。22回1/3で奪三振も21個を記録。このイニングで四球は10個と、相変わらずコントロールに課題が残ったが、反対に被安打はそれ以下の9本しか許さず、自責点も1点のみ。十分に1軍で通用するボールを投げていたのだ。少ないチャンスで、アピールは成功したといえるだろう。

育成選手から先発の柱へ

そして2016年、とうとう先発ローテーションに定着した。3月30日の西武戦で初勝利を挙げると、4月6日のロッテ戦では8回3失点11奪三振の好投、14日の西武戦では10奪三振に加え、9回1失点完投勝利を記録した。その後も好投を見せ、結局前半戦は15試合の登板で無傷の8連勝、防御率は2.64、102イニングで101個の三振を奪う。8月6日の日本ハム戦でシーズン初黒星がついてしまうが、次の13日の登板から9月3日までは4登板4連勝も記録。8月20日の試合では2桁勝利も達成した。
後半戦は4勝3敗と勝ち星の伸びこそ落ちたものの、66イニングで80個の三振奪うなど、おばけフォークが冴えに冴え渡る。結局このシーズントータルの成績は12勝3敗防御率2.61、169イニングで281奪三振を記録。四球も51個とかなり数を減らし、15勝を挙げた和田毅選手、13勝をあげた武田選手とともに先発の3本柱にまで成長した。
このように、育成選手契約から、いちやく先発ローテーションの柱にまで成長した千賀選手。オフにはWBCのメンバーにも選出され、世界にその投球を知らしめた。お化けフォークも全国の野球ファンに浸透していったことだろう。この世界の舞台で一回り大きくなった千賀選手は、2017年にいったいどれほどの成績を残してくれることができるだろうか。注目していきたいところだ。