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読売ジャイアンツの歴代監督がチームに残したモノ

2016 8/13 15:01
巨人・原辰徳監督,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

ドジャース戦法を持ち込んだ男“川上哲治”

巨人の名監督と言えば、間違いなく川上哲治の名前があがるだろう。当時、王貞治や長嶋茂雄、堀内恒夫といったスター選手を束ねて操縦するのは並大抵ではなかったはずだ。そこを川上は試合に勝つことでファンや首脳陣、選手自身をも納得させてきたのだ。

また、メジャーリーグの“ドジャース戦法”を用いた、いわゆる”スモールベースボール”を日本に普及させたのも川上だった。名選手が揃った球団に戦術もハマれば怖いものはない。その結果、V9という偉業を収めた。川上の教えは未だに受け継がれている。巨人に限らずプロ野球界の名監督と言っても過言ではないだろう。

国民的スター“長嶋茂雄”

ミスタープロ野球こと長嶋茂雄は、引退と同時に巨人の監督に就任した。当時39歳、「情熱」の青年監督の誕生だった。

1975年から1980年までの第一次政権時は思うような成果があげないまま、志半ばで辞任してしまうが、1993年に復帰。そして有名な1994年10月8日の“国民的行事” 、巨人-中日戦へと繋がる。

選手時代から常にハッスルプレーでファンの心を掴み、誰もが知る国民的スターだった長嶋。監督としても、野球はエンターテインメントなんだということを国民に伝えたかったのではないだろうか。

我慢の男“藤田元司”

1981年から監督に就任したのは巨人でエースナンバーを背負っていた藤田元司だった。

当初、球団側が長嶋を解任に近い状態で辞任させたこともあり藤田への風当たりは強かったが、助監督だった王貞治やヘッドコーチを務めていた牧野茂とのトロイカ体制により見事V9以来となる日本一を勝ち取った。この時、王は「藤田から逆風に飲み込まれない冷静さ、我慢を教わった」とインタビューで述べている。

若大将から名監督へ“原辰徳”

原辰徳が巨人の監督を務めたのは、2002から2003年と2006から2015年のあわせて12年。長年の実績から“勝って当然”の球団で監督を務めることは、強烈なプレッシャーとの戦いでもある。そんな中、原は選手や周囲を納得させ、うまく選手を起用することで実績を残した。

原の起用法には筋が通っていた。通常は実績あるベテラン選手となれば、なかなかスタメンを外したり二軍に落としたりしにくいが、原は結果が出ない選手を容赦なく起用から外した。勝つため、監督には非情さも必要ということを教えてくれた。