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気が早い!?2021年WBCの日本代表4番候補・吉田正尚選手

2017 5/17 09:55cut
baseball home run
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後にプロの世界で戦う選手と甲子園の舞台で激突

2016年シーズン新人ながら豪快なフルスイングで野球ファンを魅了したオリックスの吉田正尚(よしだまさたか)選手。将来、日本代表のスラッガーとして世界の舞台で活躍してくれることを期待されている。

吉田選手は福井県の名門ボーイズリーグである鯖江ボーイズでプレーし敦賀気比高校に進学する。高校時代に吉田選手は1年の夏から4番として甲子園に出場。1回戦で東京の強豪校である帝京高校と対戦する。帝京高校戦で吉田選手は4打数1安打と抑え込まれチームも敗退してしまう。この試合で敦賀気比の先発として登板した山田修義(やまだのぶよし)選手はその後、オリックスに入団し吉田選手と再びチームメートになった。

また、この試合、帝京の5番で最上級生として原口文仁選手(阪神)が出場しており2安打2打点の活躍。吉田選手と同じ1年生では松本剛選手(日本ハム)、伊藤拓郎選手(元DeNA)も出場している。

2年春の選抜甲子園にも出場した敦賀気比は準々決勝で日大三高と対戦する。日大三高はエースで山崎福也選手(オリックス)、1番打者に高山俊選手(阪神)、4番に横尾俊建選手(日本ハム)と3名のプロ野球選手を擁しており0-10と完敗してしまった。このように、吉田選手は高校時代から多くのプロ野球選手と戦ってきたのだ。

青山学院大学時代は国際大会で結果を残せず

吉田選手は高校時代にプロ志望届は提出せず、東都大学野球連盟の青山学院大学に進学する。青山学院大学は小久保裕紀日本代表監督、名球会入りを果たしている井口資仁選手(ロッテ)、現役最多勝左腕である石川雅規選手(ヤクルト)など多くの名選手を輩出している名門大学だ。

吉田選手は入学後1年春季リーグからレギュラーを獲得し試合に出場する。そして、ルーキーシーズンながら打率.311、1本塁打、7打点を記録しベストナインに選ばれたのだ。この当時から吉田選手は注目度が高く大学での成長に大きな期待がかかっていた。

リーグ戦での活躍が認められた吉田選手は2年夏に日米大学野球の日本代表に選出される。この時のメンバーは杉浦稔大選手(國學院大→ヤクルト)、山崎康晃選手(亜細亜大→DeNA)、岡大海選手(明治大→日本ハム)など後のプロ野球選手が多く選ばれた大会でもある。

この大会で日本代表は3勝2敗の末にアメリカ代表に勝利するが、吉田選手は14打数1安打と結果を残すことができなかった。これ以降も日本代表に選出されている吉田選手だが通算打率.232と結果を出すことができない。

しかし、東都大学通算(二部含む)では打率.307、17本塁打、63打点の成績を残しドラフト1位指名候補として取り上げられることも多かった吉田選手。2015年のドラフト会議ではオリックスから1位指名を受け入団に至る。

開幕スタメンから6試合連続ヒットは史上3人目

ドラフト1位ルーキーとして入団から期待されていた吉田選手はオープン戦、一軍に先駆けて行われるウエスタンリーグの公式戦で結果を残し開幕一軍をつかみ取る。

迎えた2016年の開幕戦、吉田選手は1番指名打者でのスタメン起用となった。大学日本代表では高山俊選手(阪神)、茂木栄五郎選手(楽天)とクリーンアップを打っていた吉田選手の1番起用に多くのファンは驚いた。その開幕戦で2安打を放ち、その後6試合連続安打をマーク。新人選手による開幕からの連続試合安打記録に並ぶ活躍を見せたのだ。過去に新人で開幕から6試合連続安打を放ったのは1981年の原辰徳選手(巨人)、2001年の佐藤友亮選手(西武)の2名。この2人に吉田選手は並んだ。

以降も吉田選手は本塁打こそ生まれなかったがコンスタントに安打を放ち4月中旬までスタメン起用され続ける。しかし、4月24日に腰の痛みで登録抹消となり約4ヶ月間戦列を離れることになってしまうのだ。

復帰後に10本塁打の固め打ち!

4月に戦列を離れた吉田選手はリハビリを行い8月上旬に一軍へと復帰する。2016年の吉田選手はここから本領発揮をしたと言ってもいいだろう。

復帰後一週間で初本塁打を記録するとその後も好調を維持。復帰した8月は16試合の出場で打率.382、4本塁打、10打点と持ち前の打撃力を発揮した。9月に入ると打率こそ下がるが25試合で打率.269、6本塁打、20打点の成績を残しよくシーズンへの期待を持たせてくれたままシーズンオフを迎えることになる。

1年目のシーズンは63試合、打率.269、10本塁打、34打点の成績だ。負傷離脱があり新人王投票では票を伸ばすことが出来なかったが、好成績であったことには違いない。オリックス(前身の阪急含む)で新人選手の二桁本塁打は熊野輝光選手以来31年ぶりの快挙となり『和製大砲』としての期待が大きく掛けられることになった。

オリックスの福良淳一監督はシーズンオフに糸井嘉男選手が阪神へFA移籍したことから吉田選手を「4番右翼候補」と明言。キャンプ、オープン戦で選手会長になったT-岡田選手、新外国人選手らと競争させることを明らかにしている。1年目からそれほどのインパクトを残したのだ。

格の違いを魅せた!アジアウインターリーグの大爆発

吉田選手は2016年シーズン終了後に台湾で行われたアジアウインターリーグに参加する。アジアウインターリーグはイースタン・リーグ選抜、ウエスタン・リーグ選抜と日本から2チームが参加。その他には欧州リーグ選抜や韓国、台湾などの選抜チームが参加しており主に若手の実戦場所となっている。

吉田選手はウエスタン・リーグ選抜として参加し18試合で打率.556(54打数30安打)、6本塁打、29打点と打撃三部門でそれぞれトップに立つ異次元の活躍を見せた。この成績で吉田選手は最優秀打者賞を獲得する。他国の選手たちも若手主体とはいえこの成績には誰もが驚き少年野球のチームに一人だけプロが混じっているかのような雰囲気だった。

2015年の同リーグでは阪神の岩貞祐太選手が最優秀投手賞を獲得し2016年シーズンのブレイクにつなげた。野手と投手の違いはあれど2017年シーズンの吉田選手にはより一層期待がかかる。その先には2021年に開催される予定の第5回WBCの4番打者がきっと見えることだろう。