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アライバの名コンビでファンを魅了!荒木雅博のこれまでを振り返る

2017 5/17 09:55Mimu
野球 セカンド
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数年かけてつくり上げられたコンビネーション

このプレーが最初に披露されたのは2004年のことだが、実は2人が二遊間を組み始めたのは2001年頃からだ。井端さんが2000年頃から、荒木選手は2001年頃から1軍に定着している。当時はショートは福留孝介選手(現阪神タイガース)が、そしてセカンドは立浪和義さんがつとめていた。しかし、2000年頃からは守備で勝る井端さんがショートのレギュラーに定着。福留選手は外野へとコンバートされている。
荒木選手も2001年当初は外野としての出場が多かったものの、8月頃からはセカンドへ定着。守備範囲に衰えが見え始めた立浪和義さんをサードへ追いやってのレギュラー奪取だった。このように、2001年音8月頃からこのコンビが組まれているのだ。つまり、2004年の時点でコンビ結成3年目。あのプレーも、お互いの動きが手に取るようにわかっていたからこそ、完成させることができたのだ。
さらにアライバコンビで1,2番を結成していたというのも大きい。九回でも随一の走塁技術を持つ荒木選手と、右打ちにバントに何でもできる井端さんとのコンビネーションは、相手投手からすれば驚異的だったことだろう。

落合監督ものとでさらに才能が開花

そして、やはりこのコンビに大きく影響を与えていたのが、2004年から監督を務めた落合博満さんだ。就任当初から補強はせず、現有戦力の底上げでの優勝を掲げていた落合監督だが、特に守備力を重視したチーム作りも特徴だった。
キャンプで監督自身がバットを握り、選手たちにノックを浴びせる通称「地獄ノック」は、キャンプではおなじみの光景となった。選手たちの守備範囲ギリギリに、選手たちが音を上げるまで打ち込んでいくのだ。ノックの時から常に難しい打球を受け続けていたからこそ、実戦でのあのプレーが生まれたのだろう。
しかも単なる守備練習ではなく、バッティングに使う下半身をしっかりと鍛え上げる効果もあり、実際にこのノックを受けた選手たちの打撃成績は軒並み向上していった。
荒木選手も2002年には.259、2003年.238だった打率が、一気に.292にまで上昇したのだ。安打数も前年の99本から176本と急増。2006年には3割も記録した。出塁が増えるにともなって盗塁機会も増加していき、2005年には自己最多の42盗塁を記録している。もともと守備走塁には定評のあった荒木選手なのだが、落合監督の指導の下で打撃が開花し、ますます隙がなくなっていったのだ。

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