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【球史に名を残した偉人達】侍ジャパンの愛称を定着させた原辰徳監督

2017 4/12 20:20cut
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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メークレジェンドと三連覇

2003年に原監督が辞任し堀内恒夫監督体制となった巨人だが2004年、2005年と成績を残すことができない。そして、3年ぶりに満を持して原監督が再登板することになったのだ。
2006年に原監督は再び巨人のユニフォームを着てチームを率いる。2006年こそ4位に終わるが2年目の2007年から三連覇。初めて日本一になったときの主軸である松井選手、桑田選手はおらず中心選手は内海哲也選手、阿部慎之助選手、小笠原道大選手らに代わっていた。
2007年こそクライマックスシリーズで中日に敗退し日本シリーズに進出できなかったが2008年、2009年は日本シリーズに進出。2009年に自身二度目の日本一を達成する。 日本一になることはできなかったものの2008年のシーズンがファンの方には印象に残っているのではないだろうか。この年は7月11日に首位阪神と巨人は13ゲーム差あり7月22日には阪神に優勝マジックが点灯するなど独走状態だったのだ。
しかし、一歩ずつ阪神を追い詰めていき最終的に逆転。1996年に11.5ゲーム差を逆転した際の「メークドラマ」を文字ってファンは「メークレジェンド」と呼んだのだ。

主力の交代により二度目の三連覇達成

2007年から2009年までリーグ三連覇を達成した原監督だが2010年、2011年と連続3位となってしまう。 2012年にはチームが大きく変わる。三連覇を支えてくれた「オガラミコンビ」こと小笠原道大選手が衰え出番が減少。そして、ラミレス選手がDeNAへ移籍する。その代わりに巨人へやってきたのが村田修一選手(前横浜)、杉内俊哉選手(前ソフトバンク)だ。また、坂本勇人選手が不動の遊撃手に育ち前回の三連覇からチームは変貌を遂げた。
迎えた2012年に巨人はスタートダッシュに失敗、5位でGWに突入する。しかし、以降は着実に勝ちを拾い7月に首位を確保。そのまま優勝まで走り抜けた。クライマックスシリーズで中日を下し日本シリーズでは日本ハムに勝利。3年ぶりの日本一に輝いたのだ。
2013年は開幕7連勝と波に乗ると首位を譲ったことはあるものの、ほぼ独走で原監督はセリーグ二連覇を達成。クライマックスシリーズで広島を下し日本シリーズで楽天に挑む。
楽天の監督は第一次原政権時に阪神の指揮官としてセレモニーを行ってくれた星野監督だった。しかし、闘将星野監督にあと一歩及ばず日本シリーズに連覇はならなかった。 2014年はリーグ制覇をするもののクライマックスシリーズで敗退。2015年はリーグ2位となった原監督。2012年の日本一から一年で一つずつ後退してしまったのだ。 このリーグ2位を持って原監督は勇退する。二期12年にも渡り巨人の監督を務めた原政権が幕を閉じたのだ。

WBC監督として「侍ジャパン」を定着させる

第二次原政権の真っ只中である2009年のWBCで原監督は日本代表の監督を務めた。2008年にセリーグ二連覇を果たしており実績も十分だ。 代表監督は初めての経験となったが、前回大会で日本を優勝に導いた王監督の後でも気後れすること無く選手選考をし采配を振るった。
原監督は前回大会の「王ジャパン」や北京オリンピックの「星野ジャパン」といった監督名とジャパンを代表の愛称とすることではなく新たに名将を考えてほしいとNPBに打診。その結果、現在も定着している「侍ジャパン」の名称となったのだ。
WBC本戦では1次ラウンド、2次ラウンドで不調だったイチロー選手を外すことをせず最後まで信じ決勝打を呼び込んだ一方で、抑えにダルビッシュ有選手を起用するなど大胆な采配も見られた。
原監督の落ち着きそして信念が日本代表は二連覇を達成したとも言えるだろう。 優勝が決まった後の祝勝会で「本当にお前さんたちはねぇ……強い侍になった!」とシャンパンファイトの挨拶をした。まさに「侍」という表現を定着させてくれた。
現在は巨人の監督を勇退し現場からは離れているが母校である東海大学の客員教授を務めるなど精力的な活動をしている。1958年生まれで2017年に59歳となる原監督。もう一度監督登板があるのだろうか。その時を期待したいと思う。

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