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【球史に名を残した偉人達】名選手、名監督にあらずを覆した王貞治監督

2017 4/12 20:20cut
>バッターⒸShutterstock.com
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生卵事件から常勝軍団へ

王監督は1988年に監督を退任後7年の時を経て1995年にダイエーの監督に就任した。ダイエーは南海の血を引く球団だったが、福岡に本拠地を移し新チームとして生まれ変わっていた。しかし、成績は向上せず王監督には期待が寄せられていたのだ。しかし、一向に成績は改善されず、王監督が就任後2年目となった1996年にはあまりの弱さにファンが暴動を起こし、王監督や選手を乗せたバスへ向かって生卵を投げつけられた。
それほどまでにファンの鬱憤は溜まっていたのだ。世界の本塁打王として輝かしい実績を残した王監督だが選手時代のように監督として実績を残すことはなかなか出来なかった。
1997年もBクラスとなる4位になったものの1998年には球団創設以来初となるAクラス南海時代を含めると1977年以来21年ぶりのAクラスとなったのだ。1977年に南海をAクラスに導いたのはノムさんこと野村克也選手兼任監督最後の年だった。野村克也選手兼任監督が退団後Aクラスがなかった球団を王監督が復活させるというシナリオには感慨深いものがある。
その後、1999年に初優勝を果たすと2007年までAクラスをキープするが2008年に最下位となり秋山幸二監督へチームを託した。 監督として最後の試合の相手は野村克也監督が率いる楽天だった。ここでも、王監督と野村監督は巡り合うのだ。最後の試合を勝利で飾ることはできなかったがビジターの仙台ながらセレモニーが行われた。このことからも、王監督の偉大さがよくわかる。

大きな注目を浴びた「ON監督対決」

現役時代共に同じ釜の飯を食い、巨人のV9を支えた長嶋茂雄監督と日本シリーズで顔を合わせたのは2000年のことだった。「ON監督対決」として世間は大きく取り上げ野球ファンの注目度も高いシリーズとなった。ダイエーは1999年に日本一となっており二連覇をかけてシリーズに挑む。前身の南海時代を含めても日本シリーズ連覇を果たしたことがなく王監督にかかる期待は大きいものがあった。
また、その球団史上初の偉業の相手が、盟友でもある長嶋監督の率いる巨人というのも面白いものだ。野村監督であったり長嶋監督であったりと王監督は節目でライバルであり盟友たちと巡り合うことになるのは野球人の持って生まれた宿命なのかもしれない。
このシリーズでは王監督率いるダイエーが2連勝してシリーズを優位に進めるが、3戦目からは長嶋監督率いる巨人に4連勝され2勝4敗で王監督は日本一になることができなかった。 これ以降、日本シリーズで長嶋巨人と王ダイエー(ソフトバンク)が顔を合わせることはなく最初で最後の「ON監督対決」となった。2人が監督退任後も2016年終了現在で対戦はない。

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