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復活?パワーアップ?首位打者・坂本勇人の打撃はどう変化したのか

2017 4/12 20:20Mimu
>バッターⒸShutterstock.com
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2016年の首位打者となった坂本勇人

2016年シーズン、とうとう首位打者のタイトルを獲得した坂本勇人選手。20代前半に素晴らしい成績を残し、多くのファンをワクワクさせていたのだが、20代後半になると成績は下降気味になり、ここ数年はあまり振るわない成績が続いていた。毎年ほぼ全試合に出場しており、チームへの貢献度は高かったのだが、打撃面ではファンをやきもきさせることも多かったのだ。
だが、この2016年にそんなモヤモヤを一気に吹き飛ばす成績を残した。打率.344で首位打者を獲得!本塁打や打点もここ数年では最高の数字を残しており、20代前半の時のような、あのファンをワクワクさせてくれる成績を残していた坂本選手が、さらにパワーアップして帰ってきたのだ。しかし、なぜここまで大きく数字を挙げることができたのだろうか。今回は坂本選手の打撃の変化について、過去の成績も紹介しながら詳しく迫っていく。

2年目の2008年からレギュラーに定着

坂本選手がブレイクした年といえば、2008年だ。坂本選手は2006年のドラフトで巨人から1位指名を受け、青森の光星学院から入団した。1年目の2007年には2軍が中心ながら、夏頃には1軍に上がり、プロ初安打も記録。このヒットは延長戦で放たれた、決勝点となるタイムリーだった。順調にプロの第1歩を踏み出し、2年目の08年を迎える。
高卒2年目ながらセカンドでの開幕スタメンを勝ち取ると、さらにその試合で二岡智宏さんが故障したため、すぐさまショートとしての出番がやってくる。春先は同じくこの年に出場機会を増やした亀井善行選手(当時の登録名は『義行』)と共に1・2番を組み、打線を牽引。結局二岡さんが復帰した後も、ショートのポジションは譲らず、逆に二岡さんをサードへ追いやってしまうほどだ。
夏頃にやはり疲れからかかなり成績を落としてしまったが、それでも全試合に出場し.257 8本塁打 43打点を記録。チームのシーズン優勝に大きく貢献した。このときまだ坂本選手は19歳、祝勝会ではビールではなく炭酸水をかけられていた姿が印象的だった。

3年目、4年目と順調に成長

さらに3年目となる2009年には成績を飛躍させる。141試合に出場して打率.306(581ー178) 18本塁打 62打点。すべての数字を前年より大きく伸ばしたのだ。しかも弱冠20歳、まだまだ発展途上であろう中で残したこの成績。それでいてショートのポジションなのだから、これからの成長に期待しないファンなんていなかっただろう。
翌2010年は打率を.281(609-171)と落としてしまうが、31本塁打に85打点。巨人のショートとして30本以上のホームランを放ったのは、坂本選手が初めてだった。サヨナラホームランを3本も放つなど、勝負強さも持ち合わせており、誰もが待ち望んでいた打てて守れる大型ショートが誕生したと思われていたのだ。

ここ数年は成績が低調に

翌2011年は打率.262(568-149) 16本塁打 59打点と全体的に成績を落としてしまったが、2012年には再び.311の高打率を記録する。またこの年は173安打を放ち、チームメイトである長野久義選手とともにセリーグの最多安打も獲得した。2011年が少し調子が悪かっただけで、本来の実力が発揮できれば、毎年のように3割に2桁本塁打は打ってくれるだろう。これからは坂本の時代がやってくるはずだ!きっと多くのファンはそう思っていただろう。
しかし、翌年から大きく成績を落としてしまう。2013?2015年までの3シーズンの成績は以下の通り。

2013:.265 12本塁打 54打点
2014:.279 16本塁打 61打点
2015:.269 12本塁打 68打点

21歳で初の3割、22歳で31本塁打、さらに24歳で最多安打。これだけの成績を残してきた選手にしては、かなりスケールの小さい成績となってしまった。打撃面以外での成長は素晴らしく、2013年には24盗塁、2014年も23盗塁を記録しているし、守備も年々上達していた。
しかし、ファンにとっては「坂本が3割を打つのは当たり前」といった風潮がどこかにあり、この打撃成績では全く満足できなくなってしまっていたのだ。

成績が落ちた原因は流し打ち?

なぜここまで成績が落ちてしまったのだろうか。実は2013年頃から、坂本選手は右方向への打球を意識するようになった。確かに、高打率を残している選手はみんな流し打ちがうまいというイメージはあるかと思う。しかし、2013年頃からの坂本選手は、無理矢理右に持って行こうとして、平凡なゴロやフライを打ってしまう場面も多く見られたのだ。
もともと坂本選手は引っ張りの打球が得意なプルヒッターだといわれている。実際に31本のホームランを放った2010年は、そのほとんどがレフト方向だった。その数なんと31本中の27本。それ以外だとセンター方向へは3本、ライト方向へはわずか1本だけ。時には外角の変化球まで強引に引っ張ってしまうような、典型的なプルヒッターだったのだ。
しかも内角打ちには天賦の才を持っており、そのバッティングは誰にもまねできないと言われたほどだ。肘の使い方がとにかくうまく、他の選手ならファールになるような打球でも難なく対応してしまっていた。それだけに、無理に右方向へ流そうとする坂本選手の姿に、ファンはやきもきしてしまっていたのだ。

流し打ちをマスターしたことによって首位打者を獲得

しかし周りがなんと言おうと、坂本選手は流し打ちを貫く。そして、その成果が現れたのが2016年のシーズンだった。この年、坂本選手は右打ちを完璧に取得する。球をしっかりと引きつけ、軸足に体重を残しつつ、スイングの軌道はアッパー気味に。今までバラバラだった動きが、スムーズに行えるようになった。点と点だった技術が、1本の線になったのだ。
すると右方向へしっかりとした打球が飛ぶようになる。今まではアウトだったコースも、ヒットにできることが多くなり、その結果打率は急上昇。.269から.344と、なんと8分近くも数字が上昇した。
それ以外の面でも、右打ちの効果は絶大だった。ボールをしっかりと呼び込めるため、四球の数も大幅に増加する(2015年:65→2016年:81)。坂本選手が好調な中、他の選手たちがあまり調子がよくなかったという要因もあったかもしれないが、それでもこの四球数は素晴らしい。
さらに外角の球に対応することができるようになったため、ピッチャーも安易に外角に投げることができなくなった。そうなると、元々得意だった内角打ちもさらに活かせるようになり、本塁打も増やすことができたのだ。
打撃に苦しんでいる間も守備や走塁は地道に向上を続けていた。そして打撃もさらなる飛躍を遂げた今、坂本選手は走・攻・守すべてに弱点のない、球界最強のショートになったといっても過言ではないだろう。