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大阪が誇るオリックスバファローズの名場面5選

2017 3/3 18:51
ボール,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

2004年に大阪近鉄バファローズと神戸オリックスブルーウェーブが合併したオリックスバファローズだが、大阪の京セラドームを拠点として活躍している。このオリックスバファローズに合併する前からの時代も含めて、名試合、名場面を5つ紹介する。

大阪近鉄バファローズ時代の最後の優勝

2001年、大阪近鉄バファローズ時代にパリーグ優勝。これが近鉄時代最後の優勝となる。このパリーグ優勝が決定した9月26日の試合は、逆転サヨナラ満塁ホームランという、野球ならではの感動的な試合だった。相手はその後合併することになるオリックス・ブルーウェーブだ。
2対5と差をつけられての9回裏、ノーアウト満塁というチャンスがやってきた。ファンの期待を背負って代打で登場した北川選手がここでホームランを放ち、一気に6対5に。この瞬間、2年連続最下位だった近鉄のこの年のリーグ優勝が決定した。

オリックス・ブルーウェーブ時代の記念すべき試合

阪神・淡路大震災のあった1995年、神戸が拠点であったオリックス・ブルーウェーブは、地元の人々を元気づけながら試合をしていた。そして9月19日、見事パリーグでの優勝を果たす。地元神戸での試合で優勝をという声が高かったにもかかわらず、まさかの4連敗となり西武球場での優勝となった。
この時ニール選手が23号、イチロー選手は24号のホームランを放ちファンを沸かせた。震災復興に対する気持ちは選手もファンもみな強く多くの人が涙を流して優勝を喜んだ。

多くの人に送られた清原選手引退試合

2008年10月1日、オリックスといえば清原選手なしでは語れなかった時代に、23年間という長い現役生活に終わりを告げる試合があった。この日の清原選手は、6回に見事2塁打を打ち、最後の打席は9428打席目、清原選手らしい思い切ったフルスイングの空振りの三振で終えた。
また、相手ソフトバンクのピッチャー杉内俊哉選手は清原選手に対してすべてストレートで勝負するなど感動を呼ぶ投球を続けた。大好きだった長淵剛さんの熱唱もあり、イチロー選手はじめ多くの球界の友人も駆けつけてラストを見守った。

イチロー選手が通算1000本安打達成

1999年4月20日、東京ドームで行われた日本ハムとの対戦だ。試合の流れは0対10と完全に日本ハムの流れだった。ファンも試合には諦めのモードだったが、イチロー選手の応援の時だけは大盛り上がり。
9回表ノーアウト、ランナー1塁で打席が来た。2ストライク、1ボールの時イチロー選手は見事皆の期待に応えてくれた。記念すべき1000本安打をホームランで飾ったのだ。この日チームは2対10で惨敗となってしまったが、それを吹き飛ばす程の盛り上がりとなった。

みんな泣いた、後一歩で優勝逃す

2014年10月2日パリーグ優勝はソフトバンクホークスに決まった。その優勝決定試合の対戦相手がオリックスだった。負ければソフトバンクの優勝決定、勝てばこちらがマジック1になるという重要な試合だ。
ヤフオクドームにて開催された試合では、2回にソフトバンクに1点を先制されるが、7回表、代打の原選手のタイムリーで追いつく。同点のまま試合は延長戦へ進み、10回裏、ソフトバンクの攻撃が1アウト満塁というピンチを迎える。
そしてソフトバンク松田選手の左中間へのヒットで負けが決まってしまった。18年ぶりの優勝が期待されていたシーズンで、この試合はファンにも選手にも思い入れの強かった試合だった。

まとめ

現在のチーム名になってからまだ一度も優勝をしていないオリックスバファローズだが、現在に至る歴史は古く私たちファンを感動させてくれる多くの試合を残してくれている。信じて応援して夢が現実となるよう見守っていきたい。