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歴代ドラフト1位の選手〈2〉オリックスバファローズ編

2017 2/9 18:26
田口壮,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

プロ野球のドラフト会議といえば球団の戦力となる新人獲得の大きなチャンスだ。オリックスバファローズには過去にどんな選手がドラフト1位指名されていたのだろうか。「オリックス・ブルーウェーブ」の1991~2004年限定で話題になったドラフト1位の有名選手を5人紹介する。

1991年ドラフト1位・田口壮選手

田口壮選手は現在オリックス・バファローズの2軍監督として活躍している。関西学院大学の硬式野球部所属時に関西学生野球連盟の公式戦で101試合出場、通算376打数123安打、打率.327、10本塁打、46打点の大記録を残す。
そして1991年のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブと日本ハムファイターズから1位指名を受け、抽選の結果オリックスに入団した。 入団後は内野手から外野手に転向、最多補殺やゴールデングラブ賞の常連選手に成長した。

1992年ドラフト1位小林宏選手

小林宏選手は大学3年までは遊撃手だったものの、4年時にチームの投手が相次いで故障したため急きょ投手として登板した、イレギュラーな経歴の持ち主だ。これが思わぬ好投だったため、地元球団の広島東洋カープがドラフト2位の好待遇で指名する予定だったが、ドラフト当日にオリックス・ブルーウェーブがまさかの1位で指名、オリックスに入団した。両球団の評価の高さに小林宏選手自身も驚いたそうだ。
入団後は1軍に定着し、1995年は阪神淡路大震災の逆境にも負けず、11年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

1996年ドラフト1位・杉本友選手

杉本友選手は、国立大出身者で初めてのドラフト1位指名を受けた選手として当時話題になった。 筑波大学3年時に首都大学リーグでノーヒットノーランを達成、「首都リーグのドクターK」と呼ばれ、一躍有名になった杉本友選手。しかし中央野球界ではほぼ無名だった。1996年にオリックス・ブルーウェーブからドラフト1位で指名された時は、国立大の理系出身であることも相まって注目を集める。
プロでは中々成績を残せなかったものの、2005年の現役引退後に高校教諭の資格を取得、現在は理科教諭をしながら野球部のコーチをしている。

1997年ドラフト1位・川口知哉選手

川口知哉選手は1997年の高校3年時にエースピッチャー兼4番打者として春・夏の甲子園でチームを牽引し、同年のドラフトでオリックス、近鉄バファローズ、ヤクルト、横浜の4球団からドラフト1位指名を受けた。 140キロの直球とカーブが持ち味の実力者かつ、甲子園のインタビュー時に「完全試合を達成します!」と答えたことでビックマウスと話題になり、当時のドラフトでは注目度ナンバーワンの選手だった。
オリックスに入団後は故障と制球難に苦しみ、高校生左腕三羽ガラスと呼ばれた実力が発揮されなかった。

1999年ドラフト1位・山口和男選手

山口和男選手は社会人野球で活躍ののち、オリックス・ブルーウェーブを逆指名、1999年のドラフト会議でオリックスから1位指名を受け正式入団した投手だ。 背番号は速球で著名な山口高志と同じ14番で「山口2世」「山口の再来」と話題になった。
即戦力として期待された2000年は不調だったが、01年から1軍に定着、プロ初勝利を獲得する。02年には球速158kmを記録、これは当時の日本人最速タイ記録だった。

まとめ

「オリックス・ブルーウェーブ」時代のドラフト1位選手5名をまとめた。次回は、オリックスバファローズの有名な歴代ドラフト1位選手を紹介する。