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カープ不動のリードオフマンへ!田中広輔が2016年に見せた成長

2017 8/17 16:20Mimu
>バッターⒸShutterstock.com
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2016年はタナ・キク・マルとしてブレイク

2016年は広島カープ不動のリードオフマン(1番バッター)としてセリーグ制覇に貢献した田中広輔選手。大学・社会人を経由しているので入団は遅めだが、実は菊池涼介選手や丸佳浩選手らとは同い年。田中選手がブレイクする前は「キク・マル」コンビとしておなじみだったが、いまでは「タナ・キク・マル」がすっかり定着した。
確かに打撃3部門だけを見ると打率.265に13本塁打、39打点。菊池・丸選手ら比べれば見劣りしてしまう。守備だって菊池選手のように「誰が見てもすごい」くらいの派手さはない。だが2016年の田中選手は、打撃成績以上にチームに貢献する姿勢を見せた。今回は田中選手の経歴を振り返りつつ、2016年の田中選手がいかに成長したのかを見ていこう。

名門校でいきなり主力選手に

田中選手は東海大相模高校から東海大学、JR東日本を経て、2013年のドラフト3位を広島カープに入団した。高校・大学時代は巨人の菅野智之選手と同期で、田中選手はなんと入学直後の1年春からベンチ入り。2年の春には甲子園も経験した。激戦区神奈川ということもあり、1度しか甲子園へ出場は叶わなかったが、スカウトからも評価は非常に高かったそうだ。しかし、田中選手はプロ志望届を出さずに東海大学へと進学する。ちなみに1つ後輩に日本ハムの太田泰示選手が在籍しており、田中選手卒業後のショートを守っていた。
東海大学では2年生からショートのレギュラーとなる。2年の秋には打率.273という成績だったが、11四球を選んで.418という出塁率を記録しているあたり、当時から田中選手の持ち味が発揮されていたことがうかがえる。3年時には全国大会にも出場し、準優勝も達成。大学最後のリーグ戦となった4年生の秋には.375を記録して首位打者を獲得するなど、大学でも世代を代表するショートとなるのだ。しかし、ここでもプロという進路を選択せず、JR東日本へと入社する。

社会人No.1ショートとしてプロの世界へ

JR東日本でも1年目からショートのレギュラーとして活躍した。都市対抗野球でも.333の打率を残してチームを準優勝に導くとともに、若獅子賞(社会人野球での新人賞)も獲得し、社会人でもその高い実力をいかんなく発揮する。翌2013年の都市対抗野球でもチームの準優勝に貢献し、そして同年のドラフトで広島カープからドラフト3位で指名を受けるのだ。
この時与えられた背番号は63番。2013年シーズンまで丸選手が着用していた番号だ。この年の丸選手は29盗塁で盗塁王のタイトルを獲得し、外野手としてブレイクを果たしていた。そして田中選手も丸選手のようにブレイクしてほしいという意味を込めて、この番号が用意されたそうだ。

ルーキーイヤー後半からレギュラー定着

社会人No.1ショートとしてプロ入りした田中選手だったが、当時広島のショートは梵英心選手が勤めていた。
2013年シーズンは打撃が好調で、規定打席には到達しなかったものの.304(359‐109)という打率を記録。膝に不安を抱えてはいたが、安定した守備も健在で、ルーキーが越えるべき壁としては非常に高かったかと思う。
田中選手も当初はサードを中心に試合に出場していた。4月ごろはなかなか打率が2割を超えず、代打で登場してその後守備に就くという起用法が中心だったが、プロの環境に慣れた6月中旬ごろからは徐々に打率を上げはじめる。特に22日の日本ハム戦で4安打を記録して以降はすっかりサードのレギュラーに定着。そして8月になるころには、梵選手に代わってショートのレギュラーとして起用されるのだ。何人もの選手が挑んできては敗れていった高い壁を、なんとたった4ヶ月ほどで超えていったのだ。
前半戦の打席の少なさが響き、規定打席には到達しなかったが、最終的には110試合で.292 (295?86)、9本塁打、34打点、10盗塁。ルーキーの成績としては上々だろう。なにより梵選手の後釜が見つかったということで、来期以降にも期待の持てるシーズンとなった。

幻の本塁打によりクライマックスへ進出できず

そして翌2015年シーズンは年間を通してショートのレギュラーに定着。規定打席にも到達し、打率.274 (543?149)、8本塁打、45打点という成績を残した。また33本の2塁打に加えてリーグ最多となる9本の3塁打を放つなど、長打力を見せつけていた。
ただ、中には物議をかもした本塁打もあった。この年はシーズンの終盤まで阪神タイガースとクライマックスシリーズの出場権をかけて争っていたのだが、そんな中で行われた9月の阪神戦。2?2の同点で迎えた延長12回の表、田中選手は左中間へ大きな当たりを放つ。そして打球はそのままフェンスを越え、勝ち越し本塁打かと思われたのだが、審判団のビデオ判定の末に3塁打になってしまうのだ。
結局2日後に審判団が「誤審」であることを認め、謝罪を行うまでの事態になったのだが、これで割を食ってしまったのはカープ陣だ。結局阪神とのゲーム差0.5でシーズンが終了してしまい、4位でクライマックスシリーズには出場できなくなってしまった。もしあの本塁打がきちんと判定されて、試合に勝利していたら…少し後味の悪いシーズンとなってしまう。

リードオフマンとして大きく成長した2016年

しかし、その雪辱を果たすべく、2016年シーズンへと挑む。この年は開幕からほぼ全試合で1番ショートとして出場し(最終戦だけ30本塁打がかかっていた鈴木誠也選手に1番を譲り、2番ショートとして出場)、チームのリーグ優勝に貢献。そして冒頭で紹介したように打率.265、13本塁打、39打点という数字を残す。
もちろんこれも素晴らしい数字なのだが、特筆すべきは四球の数だ。この年選んだ四球は、なんと77個。2014年が24個で2015年も34個、2年間で58個だったにもかかわらず、この1年で一気に77個もの四球を選んだのだ。リードオフマンとしては非常に頼もしい数字だ。2016年にもっとも大きく成長した部分だろう。さらに死球の方も17個でセリーグ最多となった。
このおかげか、打率は3年間で最低(.292→.274→.265)ながら出塁率は3年間で最高(.348→.325→.367)の数字を残す。しかも3番を打つ丸選手も84個の四球を選んでおり、相手投手からすればこれほど嫌な打線は他にない。守備でもショートとしてリーグ最多失策ではあるが、広い守備範囲を誇り、菊池選手とコンビを組んだ鉄壁の二遊間は多くのピンチを救ってきた。攻撃面でも守備面でも、相手からすれば厄介な選手だったかと思う。
残念ながら日本一とまでは行かなかったが、クライマックスシリーズでの活躍は印象的だった。なにせ打率.833(12?10)に6打数連続安打、9打数連続出塁だから。きっとこの大活躍は、全国の野球ファンの目に焼き付いていることだろう。