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強いキャプテンシー(統率力)でチームを導けるか!?阪神・上本博紀の挑戦

2017 8/17 16:20Mimu
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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チーム1強いキャプテンシーを持つ上本博紀

2016年シーズンは苦しい1年となってしまった阪神の選手会長・上本博紀選手。2017年からは、背番号を入団以来背負っていた「4」から「00」へと変更し、番号通り0からの再スタートとなる。もともと非常に責任感の強い選手なので、チームが不調な時に貢献できなかったというのは、彼にとっても非常に歯がゆい状況だったことだろう。
入団以来、平野恵一さんや西岡剛選手など、常に実績のある選手たちばかりがライバルだった。しかし彼らのケガなどによって与えられたチャンスでしっかりと結果を出し、2014・2015年と2年連続で規定打席に到達している。俊足を生かしたスピード感のあるプレーや、小柄ながらパンチ力のあるバッティング、そして誰よりも強いキャプテンシー、彼が本来の力を発揮することができれば、チームにとっては大きな力となることだろう。今回はそんな上本選手の経歴を振り返りつつ、そのキャプテンシーの強さがうかがえるエピソードなどを紹介しよう。

広陵高校時代からキャプテンとしてチームを引っ張る

上本選手は広島県の広陵高校時代から注目された存在だった。全国でも屈指の強豪校として知られる広陵高校で、1年生からレギュラーを掴むと、夏の県大会では9打点を挙げる大活躍。中学を卒業したての1年生が、チームの甲子園出場に大きく貢献する。2年生になるとトップバッターに抜擢され、春夏連続で甲子園に出場。春の選抜では優勝、夏の甲子園では2回戦敗退となってしまったが、初戦の東海大甲府戦で先頭打者本塁打を放つと、そこから2回戦の岩国高校戦まで、10打席連続出塁という記録を打ち立てる活躍を見せた。
そして、2年の秋からは新チームのキャプテンに就任。さらにチーム事情から捕手へコンバートされ、その負担が非常に大きくなったが、それでもキッチリと期待に応え、春の選抜への出場をはたす。そして最後の夏は県予選で敗退となってしまったが、常にチームのことを想うその姿勢には、監督やチームOBからも高く評価されていた。

大学でもキャプテンに任命

高校卒業後は早稲田大学へと進学する。ここでも1年生からレギュラーに抜擢されると、秋季リーグの初戦から、4年生の秋季リーグの最終戦まで、全試合にフルイニング出場。こういったところにも上本選手の責任感がうかがえる。そして高校の時と同様に、4年生の時にはキャプテンも務め、チームをまとめた。
そして2008年のドラフトでは、阪神タイガースから3位指名を受け入団。背番号は高校・大学時代と背負ってきた4を用意され、将来的には大学の先輩である鳥谷選手と二遊間を組むことが期待されていた。

プロ2年目で初出場!初ヒットも記録

入団当初、阪神のセカンドには平野恵一さんがいたため、上本選手は2軍スタートだった。初めて1軍に呼ばれたのは2年目の2010年シーズンのこと。この年は現阪神監督の金本知憲さんのフルイニング出場が途切れたものの、連続出場は続けていたため、試合終盤には選手交代が頻繁に行われていた。その際、ベンチのメンバー次第では平野さんが外野へ回ることも多かったため、その際にセカンドを守る選手として上本選手が呼ばれたのだ。7月8日に試合終盤のセカンドの守備固めとして1軍初出場を経験すると、それ以降も代走や守備要員として試合経験を積んでいく。さらに8月の終盤の広島戦では、プロ初ヒットとなるレフト前タイムリーを記録。9月になるとスタメン出場も経験し、1歩ずつ確実にプロとしての道を歩んでいくのだ。

キャプテンシーが強すぎるゆえにケガに泣いてしまった2013年

さらに翌年には67試合に出場し、プロ初本塁打も記録する。特にシーズン2号となった本塁打は見事だった。7月27日の中日戦で、当時阪神打線の天敵とも言われていたチェン・ウェイン選手(現マイアミ・マーリンズ)から見事な満塁本塁打を放つのだ。結局この年は3本の本塁打を放ち、小柄ながらもパンチ力のあるところをアピールする。
しかし2012年、2013年にはケガの影響もあってかレギュラーを確保しきれず。特に2013年には平野恵一さんがFAでオリックスへと移籍し、上本選手にとっては大きなチャンスになるかと思われたのだが…。シーズン開幕前に行われたWBC日本代表との強化試合で、アクシデントが発生する。
この日はショートとして出場していたのだが、必要以上に打球を追ってしまい、レフトの伊藤隼太選手と交錯してしまったのだ。その場でタンカに乗せられ、病院で診察を受けた結果、右目の裂傷と左足首の靭帯損傷とのこと。結局復帰は6月ごろまでかかり、セカンドのポジションはメジャーから復帰した西岡剛選手に奪われてしまう。
確かに伊藤隼太選手は守備が不得意とはいえ、少し打球を追いすぎてしまった。慣れないポジションとはいえ、全力でプレーした結果、これほど大ケガをしてしまったなんて、少し皮肉かもしれない。これも責任感やキャプテンシーが強すぎるが故に起こってしまったことなのかもしれない。

ライバルの怪我でレギュラー獲得

しかし2014年は逆に西岡選手がケガをしてしまう。3月30に行われた開幕2試合目の巨人戦、ライトの福留孝介選手と交錯してしまい、そのまま救急車で搬送されてしまうのだ。鼻骨骨折に左肩の脱臼、左右の肋骨が1本ずつ折れるなど、前年の上本選手以上の大ケガとなってしまった。そして、上本選手はそんな根性を見せた西岡選手に代わり、1番セカンドのポジションに座るのだが、ここから今まで以上の奮闘を見せる。
まずこの試合では西岡選手と交代して出場したのだが、回ってきた打席ではセンターへ本塁打を放つと、4月の10日のDeNA戦ではプロ入り初のサヨナラ安打も経験。夏場になるとますます調子は上がり、7月10日のDeNA戦ではライトスタンドに本塁打を放ち、パンチ力を見せる。さらに25日の広島戦では2点ビハインドの7回に、エースの前田健太選手から9球粘った末に同点ツーラン。いかにも上本選手らしいバッティングだった。
守備でもエラーは多くなってしまったものの、俊足を生かして広い守備範囲を誇り、何度も好プレーでチームに貢献した。結局シーズンを通して1番を守り抜き、打率.276(515?142)、7本塁打、38打点。さらに70四球や20盗塁という数字も、リードオフマンとしては立派な数字だろう。クライマックスシリーズや日本シリーズも経験し、自身にとってもチームにとっても大きな1年となった。

選手会長としてチームメイトのアクシデントに燃えた!

こうして初めて1年間レギュラーとして活躍することができた上本選手。実はこの年から関本賢太郎さんの跡を継ぎ、選手会長に就任していた。そんなさなかに起きたチームメイトの大けが。自身とポジション争いを繰り広げるライバルとはいえ、全力プレーで負傷してしまったチームメイトの姿をみて、キャプテンシーの強い上本選手が燃えないわけがない。
実は上本選手が実績を残す前から、そのキャプテンシーを高く評価していた人物がいる。それは藤川球児選手だ。2012年のオフにメジャーへ移籍してしまう藤川選手だが、実はその交渉の際、球団に対して上本選手をチームの中心として育てるべきだと進言していたそうなのだ。
もちろん他の選手からの信頼も厚く、グラウンド内外で慕われている存在だ。ケガも多く、22番に抜擢されたときは考え過ぎて大不振になってしまったこともあったが、彼がチームの先頭に立って選手たち引っ張るというのが、今の阪神にとっては理想の形のはず。高校・大学では見事にキャプテンとしてチームを率いた上本選手だが、阪神でも最高のキャプテンとなることができるだろうか。