「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

【耐雪梅花麗】今だからこそ黒田博樹の球歴を振り返る

2017 8/17 16:20cut
野球ボール,ⒸShutterstock.com
このエントリーをはてなブックマークに追加

報復投球で仲間に入ったドジャース時代

ドジャースへ入団した黒田博樹選手はチーム4試合目となるパドレス戦ではメジャー初先発を果たす。この試合で黒田博樹選手は7回1失点の好投で初勝利を手にし日米で初登板、初先発、初勝利を飾ったのだ。1年目は初戦のような好投と序盤で崩れる投球が交互に見られなかなか安定した投球は披露できなかった。しかし、31試合に登板し181回を投げ9勝をマークした黒田博樹選手には数多くの賞賛の声が送られた。

黒田博樹選手が活躍したこの年にデビューした1人の若者がいる。クレイトン・カーショー選手だ。いまや年俸30億円を超える全米ナンバーワン投手も黒田博樹選手と同じ年のデビューだったのだ。それ以来、黒田博樹選手とクレイトン・カーショー選手は交流を深めている。

黒田博樹選手の1年目におけるハイライトはレギュラーシーズンではなくポストシーズンにある。フィリーズとのリーグチャンピオンシップは敵地フィラデルフィアで2戦目までドジャースは連敗していた。また、その試合でチームメートであり主砲のマニー・ラミレスが死球を受けていながら報復を誰も行わなかった中で第3戦を本拠地ドジャースタジアムで迎える。その第3戦に先発した黒田博樹選手はフィリーズのシェーン・ビクトリーノ選手の頭部付近へ報復と見られる球を投じたのだ。死球にはならずその打席はファーストゴロに終わる。そのファーストゴロの際にベースカバーへ入った黒田博樹選手とシェーン・ビクトリーノ選手が言い合いになり一触即発の雰囲気となった。

日本では死球、危険球を投じたら帽子を脱いで謝るのが良しとされているがメジャーリーグではそうではない。やられたらやり返すのだ。その文化の違いがありながらも黒田博樹選手は”やり返す”ことを選んだことがメディアに大きく取り上げられ翌日の新聞には”たった一球で仲間の信頼を勝ち得た”という見出しが出され黒田博樹選手が本当の意味で仲間になったことを強調していた。
それ以降も黒田博樹選手は毎年ローテーションを守り2011年までドジャースで4年間プレーする。2011年にFAとなりヤンキースへと移籍することになった。

耐雪梅花麗を浸透させたヤンキース時代

2012年にドジャースからヤンキースへ移籍した黒田博樹選手はスプリングトレーニングでヤンキースに合流す。

そのキャンプ中に持ち回りで選手たちの好きな言葉を披露する場があったのだ。黒田博樹選手は「耐雪梅花麗」という言葉を紹介しチームメートに受け入れられた。「耐雪梅花麗」は西郷隆盛が詠んだ詩の一部で”梅の花は雪を耐えることで綺麗な花が咲く”現代風に訳すと”成功するためには苦しいことがある”といった意味になる。ジョー・ジラルディ監督は梅の花の写真を探しパソコンのデスクトップにした保手でもある。

キャンプ中でチームから受け入れられた黒田博樹選手は期待に応え移籍一年目から黒田博樹選手は33試合に先発し自己最多となる16勝をマークする。

以降も2014年までの3年間毎年二桁勝利を挙げる活躍を見せFAとなる。

当時の黒田博樹選手はメジャー各球団が先発として欲しており1800万ドルのオファーもあったほどだ。しかし、黒田博樹選手はメジャーではなく移籍先として広島を選択する。

この選択が黒田博樹選手らしいと話題になり日本では「男気」という言葉が流行した。

おすすめの記事