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中日ドラゴンズの歴代クローザーを年代順に振り返ろう!

2016 12/2 01:42
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

中日ドラゴンズの栄光の裏に名クローザーの歴史あり。名のあるクローザーを数々と輩出してきたドラゴンズ。今回は特に注目したい歴代のクローザーを振り返りながら、歴史を追っていこう。

頼れる不動の守護神が多く存在するドラゴンズ

1976年、最優秀救援投手賞がセ・リーグに制定されて以来、優秀なクローザーを何人も輩出しているのが中日ドラゴンズだ。その受賞回数は横浜に並ぶ最多の7回。最多セーブにいたってはセ・リーグ最多の11回受賞しており、初代セーブ王となった星野仙一投手もここ中日ドラゴンズの出身だ。その後も岩瀬仁紀投手を中心に、数々の素晴らしいリリーフ陣を育てていった。
では、ドラゴンズを象徴する代表的な球界屈指のクローザーを見ていこう。

初代最多セーブ王の栄冠?星野仙一

1974年、セパ両リーグに最多セーブ投手を表彰するタイトルができた。この賞の栄えある初代王者が中日ドラゴンズの星野仙一投手だ。現役引退後も監督としてドラゴンズやタイガース、そしてパ・リーグのイーグルスも率いた経験があり、若いファンにも馴染み深い方かもしれない。
この年はセーブ王のほか、沢村賞を受賞するなどドラゴンズの優勝に大きく貢献することになる。『打倒巨人』を掲げ先発・中継ぎと活躍し、読売ジャイアンツのV10を阻んだ熱い闘魂はドラゴンズが誇る選手のひとりだ。

最優秀救援投手の初代王者?鈴木孝政

1976年に最多セーブは最優秀救援投手と名称を改め、新たなスタートを切る。なんとこの賞の初代王者を輩出したのも中日ドラゴンズだった。その人物とは、1972年のドラフト1位でドラゴンズに入団した鈴木孝政投手。150km/h台の速球を武器に、主にリリーフとして活躍した。1974年ジャイアンツのV10を阻止し優勝を果たしたシーズンはもちろん、1975年は最多セーブ投手、1976年は最優秀救援投手のほか最優秀防御率のタイトルも獲得するなど、リリーフエースとして存在感を発揮する。

通算セーブ数記録をもつ竜の守護神?岩瀬仁紀

中日ドラゴンズのクローザーは誰かと問いかけられ、真っ先に思い浮かぶのが今回紹介する岩瀬仁紀投手ではないだろうか? 『魔球』と呼ばれるキレのあるスライダーを武器に9回を締める、頼れるドラゴンズの守護神。以前から球場に何度も足を運ぶほどのドラゴンズファンでもあるのだとか。
日本プロ野球において400回を超える通算セーブ記録を持っているのも岩瀬投手だ。ドラゴンズファンだけではなく、他球団ファンも認める球界を代表するクローザーといえるだろう。

竜の未来を支える新たなクローザー?田島慎二

2016年現在、中日ドラゴンズのクローザーを務めているのが田島慎二投手だ。 2011年のドラフト3位で入団した田島投手。高校に進学した当初までは捕手のポジションで野球をしており、高校2年の秋から投手に転向した経歴の持ち主だ。
田島投手の活躍で一番の話題となった出来事といえば、プロ野球新記録となった2016年開幕27試合連続登板無失点だろう。年齢を見てもまだ若い田島投手。第二の岩瀬投手になれるか、ドラゴンズファンからの期待が集まる。

まとめ

試合を締めくくるクローザーはタフな精神力が必要な難しいポジションだ。星野投手から始まり、球史に残る投手を何人も輩出してきた中日ドラゴンズ。再び球史に名を残す守護神はドラゴンズから現れるのだろうか?ポジションの中でクローザーが好きな方にとって、今後も注目していきたい球団のひとつと言えるかもしれない。