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強いチームには名助っ人アリ!東京ヤクルトスワローズの歴代外国人!

2016 11/25 20:06
ピッチャー,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

ヤクルトスワローズというチームには何かと印象に残る活躍をする助っ人外国人選手が多い。タイトルを獲得した選手もたくさんいる。今回はそんなヤクルトスワローズ歴代外国人選手を紹介していこう。

ヤクルト歴代最強外国人 ロベルト・ペタジーニ

まずはロベルト・ペタジーニを紹介する。99年にヤクルトに入団以降毎年のように松井秀喜とタイトル争いをしていた、ヤクルト史上最高の助っ人と名高い選手だ。特に00?02年までの3年間は

00年:本塁打王:松井秀喜42本 打点王:松井秀喜108打点 (首位打者:金城龍彦.346) ※ペタジーニは36本96打点
01年:本塁打王:ペタジーニ39本塁打 打点王:ペタジーニ127打点 首位打者:松井秀喜.333 ※松井秀喜は36本108打点
02年:本塁打王:松井秀喜50本塁打 打点王:松井秀喜109打点 (首位打者:福留孝介.343) ※ペタジーニは41本94打点

という熾烈な戦いを繰り広げていた。特にペタジーニが2冠を達成した01年には、近鉄との日本シリーズを制し見事日本一に貢献。まさに記憶にも記録にも残る選手だ。

助っ人外国人の枠に収まらない活躍 アレックス・ラミレス

まずは2015年からDeNAベイスターズの監督としてもおなじみのアレックス・ラミレスだ。2016年のAクラス入りは見事なものだ。選手としては01年にヤクルトに入団すると、主に6番・7番を務め、稲葉・ペタジーニ・古田のクリーンナップの後ろを担う恐怖の下位打線を形成する。 ペタジーニが移籍して以降は4番として活躍。特に03年は.333 40本 124打点の成績を上げ、あわや3冠王という成績を残した(この年の首位打者は今岡誠の.340)。巨人へ移籍後も活躍をつづけ、引退までに首位打者1回、本塁打王2回、打点王を4回獲得する。
しかしこの人は成績だけでは語れないだろう。ホームランを打った時のパフォーマンスは、毎年のようにアレンジが加えられ、ファンを楽しませてくれた。人間性も素晴らしく、球団や国籍の枠を超えて、彼を慕ってアドバイスを求める選手もたくさんいる。

NPB史上初の60本塁打達成 ウラディミール・バレンティン

続いて紹介するのはウラディミール・バレンティン、現在のシーズン本塁打記録の保持者だ。11年は統一球の影響もあって他の選手が軒並み成績を落とす中、31本塁打を放ち本塁打王を獲得。12年もケガの影響で規定打席未到達ながら31本塁打を放ち、2年連続の本塁打王を獲得した。
そして13年、序盤こそブランコに本塁打王を独走されるものの、中盤以降は驚異的なペースで本塁打を量産。7月に早くも30号に到達すると、8月には月間新記録となる17本塁打を放ち、50本の大台に乗せる。そして9月11日の巨人戦で大竹から55号を放つと、15日に阪神戦では榎田から56号を放ち、NPB記録を更新。さらにその次の打席でも57号を放ち、李承ヨプのアジア記録まで更新するのだ。結局このシーズンは60本の本塁打を放ち、当然のように3年連続の本塁打王を獲得。チームとしては最下位ながら、シーズンMVPも獲得した。

チーム初の優勝に貢献 チャーリー・マニエル、デーブ・ヒルトン

そして最後はこの2人、チャーリー・マニエルとデーブ・ヒルトン。ヤクルトが球団を創設して初の日本一をはたしたときの助っ人外国人だ。元々このチームは1950年に参入してきたのだが、ずっとBクラスが定位置。78年の初優勝まで、28年間でBクラスが25回という悲惨な状況だった。
若松勉や大杉勝男、大矢明彦など、確かにいい選手はそろっていた。しかしチームの雰囲気はぬるま湯そのもの、勝ちに執着するような選手がいなかったのだ。しかしそこに徹底した管理野球と厳しい指導を行う広岡達郎氏が監督に就任。守備力を重視し、マニエルら主力選手にも徹底した守備練習を課し、さらに78年にはショートが本職のヒルトンを獲得し、戦力を整えていく。

超強力打線で球団史上初の日本一!

78年の成績は圧倒的だった。1番のヒルトンも.317 19本 76打点という好成績だったのだが、それに加えて

3番:若松 .341 17本 71打点
4番:大杉 .327 30本 97打点
5番:マニエル .312 39本 103打点

という超強力なクリーンナップ。後ろを打つ杉浦亨や大矢もいい仕事を見せ、見事に初のシーズン優勝をはたす。 阪急との日本シリーズでもこの超強力打線が爆発。マニエルが第1戦、第2戦で連発したかと思えば、第4戦ではヒルトンが9回に逆転ツーランで試合を決める。第5選では若松・大杉のアベックホームランを決め、もつれた最終戦では大杉が2打席連発!結局この4人で9本の本塁打を放ち(大杉4本 マニエル3本 若松、ヒルトン1本)、見事初の日本一を達成したのだ。

まとめ

やはり強いチームには名助っ人がつきものだ。今回は紹介できなかったものの、90年代に2度優勝した時もジャック・ハウエルやトーマス・オマリーといった名助っ人がいたものだ。また彼らのような選手がチームを引っ張って、日本一になる瞬間を見たい。