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読売ジャイアンツの歴代助っ人外国人を振り返る!

2016 11/25 20:06
野球,ⒸSPAIA
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高橋由伸新監督となり新たな体制で2016年シーズンに臨んだ読売ジャイアンツだが、リーグ優勝は果たせなかった。新外国人のギャレット・ジョーンズという大砲が、及第点の活躍を見せたが大当たりとは行かなかった。そんな読売ジャイアンツの歴代外国人選手を振り返る。

陽気なアメリカン!ウォーレン・クロマティ

1980年代半ばから1990年代初頭にかけて読売ジャイアンツの中軸を支えたウォーレン・クロマティは、巨人史上最高の助っ人の一人として名前が挙がる。ウォーレン・クロマティは来日2年目に当たる1985年から1989年まで打率3割をキープし、1989年には打率.378で首位打者も獲得している。この年はNPB史上初の4割打者が誕生する可能性もあり、非常に盛り上がった年でもある。また、短気なところもあり乱闘騒ぎで退場になるなどお騒がせな助っ人でもあった。

元祖アジアの大砲 呂明賜

台湾から1988年にやってきた呂明賜は、外国人枠の関係で一軍出場の機会がなかなかなかった。しかし、ウォーレン・クロマティが負傷した際に一軍出場のチャンスを掴むと初打席初本塁打を放つ。その後も17試合で10本塁打と大器の片鱗を見せつけた。この年、二軍のジュニアオールスターゲームと一軍のオールスターゲーム両方に出場している。その後は相手球団から対策を建てられたこともあり大きな活躍はできずに1991年シーズンで退団となる。

桑田を尊敬!ビル・ガリクソン

前年にメジャーリーグで14勝を挙げていた現役バリバリのメジャーリーガーであるビル・ガリクソンは、1988年に当時としては破格の2億円で読売ジャイアンツに入団した。
糖尿病を患っていながらも2年間在籍した読売ジャイアンツ時代に21勝を挙げる活躍を見せチームに貢献する。読売ジャイアンツ時代に桑田真澄ととても仲がよく、自身の息子のミドルネームに“クワタ”と名付けている。1990年にアメリカへ戻り1991年にはメジャーリーグで最多勝を獲得するなどメジャーリーグ通算162勝をマークした全盛期のメジャーリーガーが日本球界へやってきたのは衝撃だった。

お騒がせ男!バルビーノ・ガルベス

1996年にテスト生から這い上がって読売ジャイアンツへ入団したバルビーノ・ガルベスは、初年度から最多勝を獲得する大活躍をみせた。しかし、この年から乱闘事件を起こすなど一悶着ありそうな投手ではあった。2年目の1997年も12勝をマークし活躍するが、3年目の1998年に大乱闘事件を引き起こす。
審判の判定に不満を持ったバルビーノ・ガルベスがなんと審判めがけてボールを投げつけたのだ。幸いにもボールは審判に当たらず大事故には至らなかったが罰金4000万円という処分がくだされている。2000年まで読売ジャイアンツに所属し46勝を挙げ退団している。

読売ジャイアンツは外様外国人が多い!

読売ジャイアンツは自前で外国人選手を獲得するだけでなく、国内の他球団で活躍した外国人選手を獲得することが多く見られる。近年だとアレックス・ラミレス(元ヤクルト)、マーク・クルーン(元横浜)、イ・スンヨプ(元ロッテ)、ロベルト・ペタジーニ(元ヤクルト)などが挙げられる。他球団で活躍している実績があればある程度の活躍は見込めるとの判断だろう。他球団のファンからはこうした読売ジャイアンツのなりふり構わぬ補強を批判することも見受けられる。しかし、ルール内での契約なので問題はない。今後もこの方針は続くのか注目だ。

まとめ

読売ジャイアンツに限らず優勝するためにはシーズンを通した外国人選手の活躍が必要不可欠だ。読売ジャイアンツも来シーズン優勝を狙うための目玉となる新外国人選手の獲得し、期待通りの活躍が見られることをファンは願っている。