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【歴史を彩る名選手】福岡ソフトバンクホークスを支えたピッチャー

2016 11/10 19:16
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Photo by Brocreative/Shutterstock.com

ホークスの歴史を振り返る上で、この名選手だけは必ず押さえておきたい! チームを支えた頼れる4人のピッチャーを紹介する。

最後のシーズン30勝ピッチャー?皆川睦雄

福岡ソフトバンクホークスの前身である、南海ホークス時代に在籍していた皆川睦雄さん。球団記録となる221勝を達成したピッチャーだ。日本プロ野球界において、1シーズンで30勝を挙げた最後の選手でもある。
皆川さんは入団当初オーバースローだった投げ方を、肩の怪我をきっかけにアンダースローに変更。これが功を奏し、3年目のシーズンから安定した成績を残せるようになった。そして、1968年にシーズン30勝を達成するのだ。

余命3ヶ月の名選手、病と戦った炎の中継ぎ?藤井将雄

福岡ソフトバンクホークスには忘れてはいけないピッチャーがいる。前身であるダイエー時代に「炎の中継ぎ」と呼ばれ活躍した藤井将雄さんだ。
1999年に当時のパ・リーグ最多ホールド記録を達成し、ホークス優勝の立役者となった。しかし翌年、余命3ヶ月の末期肺癌に侵されていることが発覚(本人には知らされず)。入退院を繰り返す中、チームのV2達成を見届けた6日後に帰らぬ人となってしまう。 わずか31歳の若さで亡くなった藤井さんの背番号15は、現在でも準永久欠番として大切に語り継がれている。

沢村賞獲得のホークス絶対的エース?斉藤和巳

福岡ソフトバンクホークスの絶対的エースとして記憶に新しいのが、2013年に引退した斉藤和巳さん。同じプロ選手が認める最高のフォークを武器に、通算79勝23敗、通算勝率.775の記録を残した。その勝率から、いつしか彼は「負けないエース」と称されることに。
斉藤さんは2006年に投手五冠王(最多勝・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率・最多完封)を達成。日本プロ野球史上7人目の快挙となった。また、沢村賞を2003年と2006年の2度獲得。同賞の複数回受賞はパ・リーグ史上初の出来事だった。

FA移籍の頼れるピッチャーは優勝請負人?工藤公康

現役時代、FA移籍で複数の球団を渡り歩いた工藤公康さん。14回の優勝、11回の日本一を経験し、その功績から「優勝請負人」と称された。
ホークスにはダイエー時代の1995年に移籍。エースとして活躍するほか、当時まだ若手の城島健司さんをチームの絶対的捕手に育て上げる。1999年にホークスを日本一に導いた後、翌年に再びFA移籍でチームを去っていった。 現在は福岡ソフトバンクホークスの監督としてチームを率いており、就任1年目にしてチームを優勝に導いた。「優勝請負人」の名はいまだ健在のようだ。

まとめ

福岡ソフトバンクホークスの強さの裏には、時代時代でチームを支えた名選手たちが存在がある。 彼らが紡いできた功績が、現状に満足せず高みを目指す強いチームを築き上げてきたのだろう。 ホークスは現在も若手ピッチャーが次々と台頭しているチームだ。 新たな歴史を作り出し、次の時代を牽引するエースは誰なのか、これからのホークスの戦いが楽しみになる。