「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

名選手列伝!中日ドラゴンズの歴代名ピッチャーは誰だ!?

2016 11/10 19:16
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by Brocreative/Shutterstock.com

歴代の名ピッチャーたちを知りたいと思ったことはないだろうか? 今回は中日ドラゴンズの歴史に残る名ピッチャーを4名紹介する。

フォークボールの神様こと”杉下茂”

中日ドラゴンズ史上最高のピッチャーは?という質問がああれば、必ず名前が挙がるピッチャーの一人が杉下茂だ。
1949年に中日ドラゴンズに入団し、初年度から先発で起用される。ルーキーイヤーは8勝12敗と負けが先行してしまうが、2年目からは圧巻の成績を残した。現在では考えられない6年連続20勝以上を達成したのだ。
杉下茂の最大の武器はフォークボールだ。フォークボールは多投するのではなく、打撃の神様こと川上哲治対策がほとんどで、1試合に投げる球数としては10球もなかったと言われている。そのフォークボールを武器に通算215勝を挙げ、名球会入りも果たしている。
90歳を超えてもまだまだ元気で、2月のキャンプには足を運ぶほどだ。

燃える男!”星野仙一”

星野仙一は、現役時代から”打倒巨人!”として有名で、巨人戦通算35勝31敗と巨人から30勝以上を挙げた投手の中で勝ち越しを果たしている4人の名ピッチャーに含まれている。
星野仙一が打倒巨人を掲げるようになったのは、巨人からドラフトで指名すると話があったにもかかわらず、巨人が島野修を指名して約束を反故にされたからだ。その時に星野仙一が発した「星(ホシ)と島(シマ)の間違いじゃないか?」というセリフは今でも語り草となっている。

歴代最強助っ人!?”郭源治”

1980年代の中日を支えた名ピッチャーの一人に名前が挙がる郭源治。先発、抑えとして中日ドラゴンズの投手陣を支え、1982年、1988年のリーグ優勝に貢献した。
当時としては珍しい150キロを超えるストレートとスライダー、フォークを武器に相手打者を圧倒。マウンドさばきも豪快で、ここぞの場面で抑えると派手なガッツポースを見せる姿は「郭ダンス」と称された。
台湾生まれということもあり外国人枠だった郭源治は、中日ドラゴンズの歴代優良助っ人としても取り上げられるほどの名ピッチャーだった。

最多セーブ記録保持者”岩瀬仁紀”

前人未到の400セーブを挙げている岩瀬仁紀も、間違いなく中日ドラゴンズの名ピッチャーに含まれてくる。
1999年に入団。いきなり中継ぎとして65試合に登板して10勝をマークする。本格的にクローザーとなったのは2004年からだが、そこから積み上げたセーブの数は2015年終了時点で889試合に登板し402個。寿命が短いと言われている中継ぎ、抑えで15年連続50試合以上に登板するというタフネスぶりを発揮している。
2015年はケガのため全休したが、2016年にマウンドに戻ってきており、米田哲也の持つ歴代最多の949試合登板にどれだけ迫るか注目が集まる。

まとめ

中日ドラゴンズは歴史があるチームということもあり、名ピッチャーを絞るのも大変だ。 その屈指のピッチャーたちの中でも、特に記憶に残る4人を紹介した。 今後の中日ドラゴンズからも、ここに加わるような名ピッチャーが生まれることを期待する。