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新球団でも多くの名選手!東北ゴールデンイーグルスの名バッター4人

2016 11/10 19:16
>バッターⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

2012年に初の日本一となった楽天。ぜひこれまでの名選手を知りたいという方も多いと思う。 そこで今回は、楽天を代表する名バッター4人を紹介する。

楽天史上最高のホームランバッター!山崎武司

山崎武司選手は、球団創設当初の2005年から2011年まで楽天に所属していた。高校通算で56本のホームランを記録するなど、プロ入り前から長打力に定評のあった選手だ。
1987年に中日ドラゴンズに入団し、主に左撃手と一塁手として活躍。1996年にセ・リーグ本塁打王に輝いて以降、数々のタイトルや記録を打ち立ててきた。
2002年にはトレードによってオリックスブルーウェーブに移籍するも、2004年に戦力外通告。ちょうど翌年から参入する楽天に入団することになった。
楽天時代には史上102人目の通算1500本安打、17人目の通算400本塁打を記録したほか、40歳を超えながらもオールスターゲーム出場やタイトル獲得を果たすなど、チームの中軸を担ってきた。その後、2012年に中日に復帰し、翌年現役を引退している。

走攻守すべてに優れたメジャー帰りの男!松井稼頭央

日本人初の内野手メジャーリーガーとして、2004年にアメリカのニューヨーク・メッツに移籍したことでも知られる松井稼頭央選手。
高校時代は大阪の名門・PL学園で投手として活躍していたが、怪我の影響もあって野手として西武ライオンズに入団。プロ3年目にスタメンとして守備の要である遊撃手を任された。打率や安打数も好調で、特に盗塁に関しては高い成功率を誇り、盗塁王、オールスターでの1試合4盗塁(2度の三盗)、シーズン盗塁成功率100%などの記録を樹立。
2004年にメジャー移籍後も安定した打率と盗塁で活躍し、ロッキーズやアストロズで計7年間プレーした。2011年に楽天に移籍してからは、キャプテンとしてチームを率いたり、2013年の球団初の日本一に貢献するなど、技術面、精神面でチームを支える存在だ。昨年には通算2000本安打など数々の通算記録を達成するなど、40代を迎えた現在でも活躍を続けている。

楽天が誇る安打製造機!鉄平

楽天で唯一、首位打者のタイトルを獲得しているのが鉄平選手だ。2000年に中日ドラゴンズに入団するも結果が残せず、2006年に金銭トレードで楽天に移籍。直後からスタメンとして起用され、これまでの評価をくつがえすような活躍をみせることになった。
2009年には連続試合安打24を記録し、シーズン打率.327で楽天初となる首位打者を獲得。守備では、右撃、中堅、左撃とすべての外野ポジションをこなすほか、キャプテンや選手会長に指名されるなど、チームに欠かせない存在となった。
2014年にトレードでオリックスバファローズへ移籍するも調子が低迷。2015年に戦力外通告を受けた後も現役続行を目指してトレーニングを続けていたが、2016年に現役引退することになった。

楽天のスピードスター!聖澤諒

ホームランやヒットの数など派手な成績が注目されがちだが、バッターの役割はそれだけではない。2008年にプロ入り1年目にして開幕1軍の座を掴んだ聖澤諒選手は、守備力に加えて、足の速さで高い出塁率を誇るバッターだ。
入団当初から守備固めや代走で起用され、1番・中堅手としてスタメンに定着した後は長打力不足を足の速さでカバー。内野安打や盗塁を量産し、1番バッターとしての役割をしっかりと果たしている。 近年では得点圏打率も高く、3番として攻撃の中軸を担う存在にまで成長。守備でも連続守備機会無失策記録927のプロ野球記録を保持するなど、楽天を代表する野手の一人として知られている。

まとめ

現在、メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースで活躍する田中将大投手が所属していたことで有名な東北楽天ゴールデンイーグルス。 田中投手をはじめとする投手陣だけでなく、バッターにも名選手がたくさんいる。 まだまだ歴史は浅いものの、その分、今後の活躍にも期待したいところだ。