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東北楽天ゴールデンイーグルスのピッチャーといえば?この人!

2016 10/24 19:31
楽天 ピッチャー
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Photo by Brocreative/Shutterstock.com

ピッチャーの名選手と言われればこの人たちしかいない! 弱小球団だった楽天を支えたエース級ピッチャーを紹介する。

東北楽天ゴールデンイーグルス誕生からエース・岩隈久志

東北楽天ゴールデンイーグルスは、2004年にオリックスブルーウェーブと近鉄バファローズの合併によって誕生した一番新しい球団だ。
近鉄のエースだった岩隈久志は、オリックスに分配されたが、入団を拒否してトレードで楽天に入団する。 楽天のスタート時には、寄せ集めの戦力で100敗するのではないかと言われる中で、孤軍奮闘したのが岩隈だった。その年の疲労もたたり、翌年は故障で活躍はできなかったものの、2007年からは楽天のエースとして勝利に貢献している。 2012年にポスティングでシアトルマリナーズに移籍し、現在も活躍中だ。

神がかり的な活躍で日本一を成し遂げた田中将大

楽天ゴールデンイーグルスが誕生して最初のドラフトで、注目の選手が入団することになる。駒大苫小牧高校の田中将大だ。
2007年には11勝を挙げ、楽天のエース、連敗ストッパーとして活躍。高卒ルーキーとしては松坂大輔以来6年ぶりとなる新人賞を受賞した。翌年の2008年は9勝どまりだったが、その後2014年にニューヨークヤンキースに移籍するまでの間、2ケタ勝利を続ける絶対的エースとなった。
特に2013年の活躍は神がかっており、24勝0敗という成績で優勝に貢献している。日本シリーズでもエースとして初戦を勝ち、大手を掛けた一戦では負けたものの、次の試合の最終回にストッパーとして登板して日本一を勝ち取った。

球団史上初のAクラス入りに貢献した永井伶

永井伶は、楽天の先発3本柱として、岩隈、田中に次ぐ3番目の先発として大活躍する。2009年には自己最多となる13勝を挙げ、球団史上初のクライマックスシリーズへの進出に貢献した。
2011年に右肩を故障し、それ以降は2軍にいることも長くなり、1軍では3勝を挙げるにとどまってしまった。 2014年は1軍の登板がなく、2015年に9年間という短い現役生活を終えることに。岩隈や田中の陰に隠れてはいたものの、しっかりと安定した成績を残していたが、故障には勝てないまま引退することになってしまった。 平均球速が140キロと速い球を投げるタイプではなく、打たせて取るコントロールが良いピッチャーだった。

田中からバトンを受けた現在のエース・則本昂大

2013年に楽天ゴールデンイーグルスにドラフト2位で指名されて入団したのが則本昂大だ。この年は田中が絶対的なエースだったが、新人の則本も15勝を挙げて優勝に貢献している。
3勝3敗で迎えた日本シリーズ最終戦では、美馬、田中と共に巨人打線を完封してチームを日本一に導いた。 翌年から田中がヤンキースに移籍し、先発3本柱だった永井も怪我で投げられず、則本が楽天のエースになった。プロ入り後3年連続で2ケタ勝利を挙げており、十分な働きをしている。

まとめ

楽天ゴールデンイーグルスの名選手として4選手を紹介した。 いずれのピッチャーも球界を代表するようなピッチャーで、弱小球団と言われた楽天を引っ張ってきた。 楽天の次世代を担うピッチャーは、これからも登場してくれるだろう。