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1980年代におけるMLBドラフト全体1位は誰だった?

2017 7/10 10:25cut
野球ボール、バット、ヘルメット
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Photo by razorbeam/Shutterstock.com

1965年から始まったMLBのドラフト制度も15年が経過し、各球団ともに対策を練り失敗も減ってきた。その結果が「全体1位」から殿堂入り選手の輩出だろう。今回は、殿堂入り選手を輩出している1980年代の全体1位を紹介する。

1980年代のドラフト全体1位指名選手は誰がいた?

1980年代のドラフト全体1位選手は、球史に残る名選手を輩出している。その一人がケン・グリフィー・ジュニア選手だ。父であるケン・グリフィー・シニア選手とともにプレーするなど、二世選手として人気も誇り、野球殿堂入りも果たした。
また、メジャー昇格を果たせなかった選手はおらず、全員がメジャーリーグで試合に出場している。

【1980年代全体1位選手一覧】
1980年:ダリル・ストロベリー選手(ニューヨーク・メッツ)
1981年:マイク・ムーア選手(シアトル・マリナーズ)
1982年:ショーン・ダンストン選手(シカゴ・カブス)
1983年:ティム・ベルチャー選手(ミネソタ・ツインズ)
1984年:ショーン・エイブナー選手(ニューヨーク・メッツ)
1985年:B.J.サーホフ選手(ミルウォーキー・ブルワーズ)
1986年:ジェフ・キング選手(ピッツバーグ・パイレーツ)
1987年:ケン・グリフィー・ジュニア選手(シアトル・マリナーズ)
1988年:アンディ・ベネス選手(サンディエゴ・パドレス)
1989年:ベン・マクドナルド選手(ボルチモア・オリオールズ)

1980年:ダリル・ストロベリー選手

1980年の全体1位は、ニューヨーク・メッツが指名したダリル・ストロベリー選手だった。
1983年にメジャーデビューを果たすと、初年度から打率.257、26本塁打、74打点の成績を残し、新人王を獲得する。全体1位指名選手が新人王を獲得するのは、ボブ・ホーナー選手以来2人目のことだった。
1988年には本塁打王に輝くなど強打者として成績を残し、1990年までメッツで活躍。その後は数チームを渡り歩き、1999年に現役を引退した。17年間の現役生活で通算1401安打を放っている。

1985年:B.J.サーホフ選手

1985年のドラフト全体1位はミルウォーキー・ブルワーズが指名したB.J.サーホフ選手だった。 サーホフ選手は、高校時代の1982年にもドラフト指名を受けているが、入団を拒否。大学に進学し、ロサンゼルス・オリンピックにも出場していた。 1987年にメジャーデビューを果たしたサーホフ選手は、2005年まで19年間にわたり現役生活を続け、2313試合に出場して2326安打を放った名選手だ。打撃タイトルの獲得こそないが、1999年にオールスターゲーム出場を果たしている。

1987年:ケン・グリフィー・ジュニア選手

1987年のドラフト全体1位は、シアトル・マリナーズが指名したケン・グリフィー・ジュニア選手だった。 グリフィー選手は、1989年に19歳でメジャーデビューを果たし、127試合に出場。1997年からは3年連続で本塁打王に輝くなど、4度の本塁打王を獲得。2010年に現役を引退するまでに630本塁打を放っている。 マリナーズからシンシナティ・レッズ、シカゴ・ホワイトソックスなどへ移籍するが、現役晩年の2年間は再びマリナーズでプレー。イチロー選手と仲の良いところを見せてくれた。2016年には史上最高の得票率を記録し、アメリカ野球殿堂入りを果たしている。

1988年:アンディ・ベネス選手

1988年のドラフト全体1位は、サンディエゴ・パドレスから指名されたアンディ・ベネス選手だ。 指名翌年の1989年にはメジャーデビューを果たし、10試合に先発。6勝3敗の成績を残した。翌1990年からは先発ローテーションに定着し、4年連続で2ケタ勝利を達成。1994年に6勝14敗と2ケタ勝利が途切れるが、1995年から再び6年連続で2ケタ勝利を達成するなど、現役通算155勝をマークした。 タイトルの獲得はないが、安定的な成績を残し、故障も少なかった先発投手だ。

まとめ

1980年代の全体1位指名選手は活躍している選手が多く、大外れという選手がいなかった。 しかし、ケン・グリフィー・ジュニア選手がずば抜けているため、他の選手が霞んでしまう。 今後、グリフィー選手のような球史に残る選手が全体1位から誕生するのだろうか。 アマチュアでの評価が高く、プロでも最高の評価を残す選手の出現に期待だ。