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現役復帰へのラブコールMLBボストン・レッドソックスの永久欠番選手

2017 7/10 10:25hiiragi
MLB,ボストン・レッドソックス
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Photo by Dennis Ku / Shutterstock.com

MLBアメリカンリーグの古豪、ボストン・レッドソックスをご存知の方は多いかもしれない。かつては松坂大輔投手、最近では上原浩治投手の活躍で、日本人ファンを大いに楽しませてくれた。ここではそんなボストン・レッドソックスのプロフィールや永久欠番選手について紹介しよう。

第1回のワールドシリーズ制覇

ボストン・レッドソックスは、アメリカンリーグ東地区に所属するチームだ。球団創設は1893年で、アメリカンリーグには1901年の発足時参加する。
1903年にはアメリカンリーグを制覇して、第1回となったワールドシリーズも制し、第1回のチャンピオンに輝いた。以降地区優勝が8回、リーグ優勝は13回を数え、ワールドシリーズ制覇は8回ある。
8回目の制覇となった2013年のワールドシリーズでは、上原浩治投手、田澤純一投手が活躍し、2016年は地区優勝を遂げたが、ディビジョンシリーズで敗退した。

「背番号8」最後の三冠王と言われたカール・ヤストレムスキー選手

カール・ヤストレムスキー選手は、1961年ボストン・レッドソックスよりメジャーデビューを果たす。以降1983年までの23年間をレッドソックス一筋で過ごした。
2年目には160試合に出場して191安打を放つと、翌1963年には打率.321で183安打を放ち、首位打者と最多安打を獲得する。そして1967年には、打率.326、本塁打44本、打点121点を挙げ、三冠王に輝いた。
この後45年間三冠王が出ず、最後の三冠王と言われた時期もあった。23年間のタイトルは、首位打者3回、本塁打、打点が各1回、ゴールドクラブ賞には7回輝いた。通算安打数3419は歴代8位の記録だ。

「背番号9」出塁率歴代1位テッド・ウィリアムズ選手

テッド・ウィリアムズ選手は、1939年ボストン・レッドソックスよりメジャーデビューを果たす。
1年目から145打点で打点王を獲得する活躍を見せ、1941年には打率.406、本塁打37本で2冠を達成、出塁率は.553にまで達した。出塁率は1年目から連続17年4割を切ることなく、5割以上のシーズンが5回もあり、キャリア19年間の出塁率は.482で歴代1位だ。
19年間をレッドソックス一筋にプレーして、首位打者6回、本塁打王4回、打点王4回に加え、MVP2回、三冠王が2回ある。2001年メジャーデビューをしたイチロー選手を見て、次の4割バッターは彼だと言ったそうだ。

「背番号26」首位打者5回ウェイド・ボッグス選手

ウェイド・ボッグス選手は、1982年ボストン・レッドソックスよりメジャーデビューを果たす。1年目は規定打席に足りないものの打率.349を残し、翌1983年にはレギュラーに定着。そして早速210安打を放ち、打率.361で首位打者に輝き、1985年には240安打、打率.368で2回目の首位打者を獲得した。
レッドソックスには1992年までの11年間在籍するが、首位打者5回、最高出塁率6回、最多安打1回獲得、200本安打以上が7シーズンあった。ジンクスを大事にする選手で、起床時間や練習開始時間なども分刻みで決めていたようだ。通算18年プレーして安打数3010本、通算打率.328を残している。

「背番号34」早すぎた引退?デビッド・オルティーズ選手

デビッド・オルティーズ選手は、1997年ミネソタ・ツインズよりメジャーデビューを果たし、2003年ボストン・レッドソックスに移籍する。以降2016年までの14年間をレッドソックスでプレーした。
1年目から31本塁打、101打点と活躍を見せ、2年目には47本、139打点と伸ばし、2005年には47本148打点で打点王、2006年には54本137打点で、本塁打、打点の2冠に輝いた。
翌2007年の35本塁打を最後に30本を切った本塁打だったが、2013年には30本に復帰、毎年本数を伸ばし2016年には38本を打ち、打点も127で3回目の打点王に輝いた。打率も.315で少し早すぎる引退だった。

まとめ

MLBアメリカンリーグ東地区に所属するボストン・レッドソックスの簡単な戦歴や、永久欠番選手を紹介した。近年は日本人選手の活躍でなじみの深いチームでもある。2017年は上原投手もオルティーズ選手も抜けて、少し寂しくなるが、どんな戦いをするのか注目したいものだ。