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5年連続地区優勝、MLBフィラデルフィア・フィリーズの永久欠番選手

2017 7/10 10:25hiiragi
MLB,フィラデルフィア・フィリーズ
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Photo by Frank Romeo / Shutterstock.com

ナショナルリーグ中地区に所属する、フィラデルフィア・フィリーズをご存知だろうか。最近では2008年にワールドシリーズを制し、2007年から5年連続地区優勝を成し遂げたチームだ。ここではそんな、フィラデルフィア・フィリーズのプロフィールや永久欠番選手を紹介しよう。

アメリカプロスポーツ初の10,000敗

フィラデルフィア・フィリーズはナショナルリーグ東地区に所属するチームだ。創設は1883年と古く、ナショナルリーグの新規チーム募集に合わせてスタートした。しかし、当初から弱いチームで勝ち星は上がらず、初めてのリーグ優勝は1915年、ワールドシリーズ制覇は1980年だった。
2007年にはアメリカプロスポーツでは初めての10,000敗を記録している。地区優勝11回、リーグ優勝7回、ワールドシリーズ制覇が2回ある。2007年から5年連続地区優勝を勝ち取り、上位定着と思われたが、2014、15年は5位、2016年は4位と低迷している。

「背番号32」4,000奪三振、スティーブ・カールトン投手

スティーブ・カールトン投手は、1965年セントルイス・カージナルスよりメジャーデビューを果たし、1972年開幕前にフィラデルフィア・フィリーズへ移籍する。
初年度からフル回転で41試合に先発出場、リーグ最多の346.1回を投げ27勝10敗と結果を残した。この年は、310奪三振、防御率1.97、勝利数もリーグ最多で、初のサイ・ヤング賞を獲得する。
フィリーズには1986年のシーズン途中まで在籍、丸13年間プレーした。最多勝利4回、最多奪三振5回、サイ・ヤング賞4回はすべてフィリーズ時代に獲得している。キャリア24年間で329勝244敗、奪三振4136を残した。

「背番号20」本塁打王8回、マイク・シュミット選手

マイク・シュミット選手は、1972年フィラデルフィア・フィリーズよりメジャーデビューを果たす。1973年には132試合に出場するものの、打率.196、本塁打18本、打点52点に終わっている。
しかし、1974年には見事に変身、36本塁打を放ち本塁打王になると、以降1987年までの14年間で、30本塁打以上が13シーズンあり、本塁打王にも8回輝いた。この間、打点王は4回獲得、MVPには3回選ばれている。守備にも定評があり、ゴールドグラブ賞を10回受賞した。
フィリーズ一筋にプレーして、1989年シーズン途中に引退するが、その年のオールスターに選出された。引退選手がオールスターに選ばれた初めてのケースだ。

「背番号なし」打撃6部門タイトル獲得チャック・クライン選手

チャック・クライン選手は、1928年フィラデルフィア・フィリーズでメジャーデビューを果たす。
翌1929年には43本塁打を放ち本塁打王を獲得、1931年には121点で打点王に輝き、1934年には三冠王を獲得した。足も速く、1932年には盗塁王にもなっている。打撃三冠に加え、盗塁王までとっているのはタイ・カッブ選手と2人だけだ。
キャリアでは首位打者1回、本塁打王4回、打点王2回、盗塁王1回に加え、最多安打2回、最多得点も2回獲得した。永久欠番「背番号なし」は番号がなかったからではなく、毎年のように番号を変えていたので、決められなかったからのようだ。

「背番号1」刺殺500以上を4回記録リッチー・アシュバーン選手

リッチー・アシュバーン選手は、1948年フィラデルフィア・フィリーズよりメジャーデビューを果たし、初年度から117試合に出場。打率.333を残し、32盗塁で盗塁王を獲得した。翌年からはほぼフル出場で、打席数も増え安打を増産。1951年には221安打を記録すると、1955年には打率.338で首位打者に輝いた。
フィリーズには1959年までの12年間在籍して、首位打者2回、最多安打3回、盗塁王1回を獲得する。キャリアでは2574安打を放ち、打率は.308だった。アシュバーン選手は主にセンターを守ったが、シーズン刺殺数500以上が4回もあり守備範囲の広さでは群を抜いている。

まとめ

MLBナショナルリーグ中地区に所属する、フィラデルフィア・フィリーズの球団略歴や、主だった永久欠番選手を紹介した。2007年10,000敗の後、2009年には9,000勝を達成して、勝率5割を目指している。2016年は4位と振るわなかったが、定位置と言われないよう頑張ってほしい。