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リーグ最多の世界一 MLBセントルイス・カージナルスの永久欠番選手

2017 7/10 10:25hiiragi
MLB,セントルイス・カージナルス
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Photo byFrank Romeo / Shutterstock.com

ポストシーズンの常連チーム、セントルイス・カージナルスをご存知の方も多いかもしれない。かっては田口壮選手が活躍してワールドチャンピオンに輝き、チームの勝利数は10,000勝にも到達している。ここではセントルイス・カージナルスの概容と、主だった永久欠番選手を紹介しよう。

弱小チームから強豪チームに定着

セントルイス・カージナルスは、ナショナルリーグ中地区に在籍するチームだ。創設は1882年と古く、ナショナルリーグに加盟したのは1891年だった。以降地区優勝13回、リーグ優勝19回を数え、ワールドシリーズ優勝はリーグ最多の11回を誇る。
当初は弱小チームだったが、1926年に初のリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズも制すると、強豪チームに変身、安定した成績を残してきた。近年でも、2011年~2015年まで連続プレーオフに進出して、2011年はワールドシリーズを制覇した。しかし、2016年は1勝足りずにワイルドカードに進出できなかった。

「背番号45」内角攻めの奪三振王ボブ・ギブソン投手

ボブ・ギブソン投手は、1959年セントルイス・カージナルスよりメジャーデビューを果たした。メジャーに定着したのは1961年だ。速球には威力があったもの、コントロールが悪く、1961年は166奪三振に対し119個の四球を与えている。しかしコントロールは徐々に改善され1968年には268奪三振に対して四球は62個に激減した。
17年全てのシーズンをカージナルスでプレーして、251勝174敗、奪三振3117個、四球は1336個与えた。奪三振は歴代14位、与四球は歴代26位の記録だ。内角攻めが得意で、危険な内角攻めを遠慮なくできるよう、相手バッターとは口を利かなかったそうだ。
最多勝1回、最優秀防御率1回、最多奪三振1回のほかに、サイ・ヤング賞2回、MVP1回を獲得した。

「背番号1」守備歴代最高の遊撃手、オジー・スミス選手

オジー・スミス選手は、1978年サンディエゴ・パドレスからメジャーデビューを果たした。セントルイス・カージナルスには1982年に移籍する。以降1998年に引退するまでの15年間をカージナルスでプレーする。
もともと打撃は得意ではなく、移籍した数年間は2割5分程度の打率しか残していない。監督が見込んだのは、その守備力だ。移籍前の1980年からゴールドクラブ賞の常連で、1992年まで13年連続で獲得した。当時の監督には「オジー・スミスは1点はなかなか取れないが、確実に2点は防いでくれる」と言われている。2007年に行われた守備の歴代最高を決める投票で、見事遊撃手部門に選ばれた。

「背番号6」惜しかった打撃5部門独占、スタン・ミュージアル選手

スタン・ミュージアル選手は、1941年セントルイス・カージナルスでメジャーデビューを果たした。以降1963年までの23年間(兵役で実質22年)をカージナルス一筋でプレーする。2年目の1942年は140試合に出場して.315をマーク、16年連続で3割をキープした。この間、首位打者には7回、打点王には2回輝いている。
特に1948年は打率、打点、得点、安打数でリーグ1位を獲得した。本塁打も39本打ったが、1本足りず本塁打王は逃している。雨でノーゲムとなった試合で1本打っており、試合が成立していれば、三冠王どころか、打撃5部門独占だった。通算成績は3630安打で歴代4位の記録を残した。

「背番号17」最多奪三振を4年連続ディジー・ディーン投手

ディジー・ディーン投手は、1930年セントルイス・カージナルスでメジャーデビューを果たした。1932年には46試合に登板して、18勝15敗、191三振を奪い、奪三振王のタイトルを獲得する。以降4年間は190個以上の三振を奪い、4年連続でタイトルを獲得した。
特に1934年は50試合に登板して、30勝7敗をマーク、最多勝利賞を獲得、三振195個奪い、MVPに選出された。翌1935年にも最多勝利と最多奪三振のタイトルは獲得する。1934に挙げたシーズン30勝はナショナルリーグ最後の30勝となった。

まとめ

MLBセントルイス・カージナルスの主だった永久欠番選手を紹介した。長い歴史を持つチームだけに、数多くの永久欠番選手が指名されている。戦績も安定しており、いつの時代でもコンスタントにワールドシリーズに出場している。2016年は残念だったが、2017年は期待が持てそうだ。