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MLBを知ろう!カンザスシティ・ロイヤルズの永久欠番はいくつある?

2017 6/13 12:41cut
ロイヤルズ,ホーム
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Photo by Frank Romeo / Shutterstock.com

イチロー選手やダルビッシュ有選手らの活躍もあり、メジャーリーグ中継が日常的に見られるようになった。 30チームが所属しているメジャーリーグの各球団について、少しずつ覚えていきたい方もいるのではないだろうか。 今回はカンザスシティ・ロイヤルズの永久欠番について紹介する。

カンザスシティ・ロイヤルズはどんなチーム?

カンザスシティ・ロイヤルズは、アメリカンリーグ中地区に所属しており、近年は2015年にワールドチャンピオンに輝くなど上位争いを続けている。日本人選手では、青木宣親選手が2014年に在籍していた。
1985年にワールドチャンピオンになって以降、長らく低迷期が続いたが、2014年にリーグチャンピオン、2015年には30年ぶりとなるワールドシリーズ制覇を成し遂げている。また、本拠地であるカウフマン・スタジアムは外野席に大きな噴水があり、メジャーでも美しい球場として知られている。

ロイヤルズの永久欠番は4つ

2016年シーズン終了時点でロイヤルズの永久欠番は「5」「10」「20」「42」と4つ制定されている。「42」は全球団共通の永久欠番であるジャッキー・ロビンソン選手なので、ロイヤルズ独自の永久欠番は3つだ。
1969年に創設されたロイヤルズは、およそ半世紀の間に3つの永久欠番を制定したことになる。その中で選手としての欠番は「5」のジョージ・ブレット選手、「20」のフランク・ホワイト選手の2名だ。「10」のディック・ハウザー氏は、選手としてではなく監督としての栄誉が讃えられ永久欠番となった。

「5」ジョージ・ブレット選手

ジョージ・ブレット選手は、1971年にロイヤルズからドラフト2位で指名を受け入団した。
1973年にメジャーデビューを果たすと、翌1974年から三塁手のレギュラーとして活躍。1985年には球団史上初となるワールドシリーズ制覇に大きく貢献。1993年に現役を引退するまでロイヤルズ一筋で活躍し、首位打者を3回獲得するなどチームの柱としてプレーした名選手だ。
通算3154安打を放っており、現役引退後の1994年に永久欠番となり、1999年にはアメリカ野球殿堂入りも果たしている。

「10」ディック・ハウザー監督

ディック・ハウザー監督は、メジャーリーガーとしては大きな功績を残すことができなかったが、指導者として大きな成果を残した。1980年にニューヨーク・ヤンキースで監督を務めて地区優勝を果たすと、翌1981年にはロイヤルズの監督に就任する。
就任後、上位を争っていたものの優勝ができなかったハウザー監督だが、1984年に地区優勝、1985年にワールドシリーズ優勝を達成。ロイヤルズを初の世界一へと導いた。1986年途中にガンによる体調不良で入院。翌1987年のスプリングトレーニングで復帰を果たすが、転移が見つかったためシーズン前に監督を辞任。そのまま帰らぬ人となった。
ハウザー監督の死去から1ヶ月経たないうちに、ロイヤルズは栄誉を讃えて背番号「10」を永久欠番と制定した。

「20」フランク・ホワイト選手

フランク・ホワイト選手は、1970年にロイヤルズへ入団。1973年にメジャーデビューを果たす。
1975年からレギュラーに定着し、現役を引退する1990年までロイヤルズの二塁手として長きにわたりチームを支える。打撃タイトルの獲得はないものの、ゴールドグラブ賞を8回受賞するなど守備面で貢献。70年代後半から80年代にかけてのロイヤルズをジョージ・ブレット選手と支えていた。
1990年に現役を引退後、1995年に「20」が永久欠番となり、ロイヤルズの殿堂入りも果たしている。

まとめ

1985年に初のワールドチャンピオンに輝いたときにロイヤルズを支えたジョージ・ブレット選手、フランク・ホワイト選手、ディック・ハウザー監督が揃って永久欠番になっている。 2015年のワールドチャンピオンを支えた選手たちも、いずれは永久欠番になるかもしれない。