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MLBを知ろう!サンディエゴ・パドレスの永久欠番はいくつある?

2017 6/13 12:41cut
サンディエゴ,チーム
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Photo by Keeton Gale / Shutterstock.com

サンディエゴ・パドレスは、大塚晶則選手が在籍したチームということもあり、日本でも知っている方は多いだろう。 しかし、近年は低迷していることもあり、印象が薄くなっている感は否めない。 今回はそんなサンディエゴ・パドレスの永久欠番について紹介する。

サンディエゴ・パドレスはどんなチーム?

1969年に創設されたサンディエゴ・パドレスは、ナショナルリーグ西地区に所属している。2016年シーズン終了時点でワールドシリーズ制覇の経験はなく、最高成績は1984年、1998年のリーグチャンピオンだ。5回の地区優勝経験もあるが、直近でも2006年となっており、10年以上優勝から遠ざかっていることになる。
同地区に強豪ロサンゼルス・ドジャース、サンフランシスコ・ジャイアンツが所属しているが、久々の優勝に期待がかかる。本拠地のペトコパークは打者不利のスタジアムとして知られており、2012年オフに改修工事が行われた。

パドレスの永久欠番は6つ

パドレスの永久欠番は「6」「19」「31」「35」「42」「51」の6つになる。「42」はMLB全球団共通の永久欠番であるジャッキー・ロビンソン選手の番号であるため、パドレス独自の永久欠番は5つになる。
約50年の歴史があるパドレスは、約10年に1人の割合で永久欠番になる選手が育っている。直近で永久欠番になったのは、MLB史上初めて600セーブを達成したトレバー・ホフマン選手の背負っていた「51」で、現役引退後の2011年に選定されている。

「19」トニー・グウィン選手

トニー・グウィン選手は、1981年にパドレスからドラフト3巡目(全体58位)で指名され入団。
1982年にメジャーデビューし、1984年にレギュラーを獲得すると、打率.351で首位打者を獲得。以降、引退する2001年まで打率3割を下回ることはなく、通算打率.338を誇る。これは、5000打数位以上の選手では歴代16位の記録だ。
また、首位打者を8回獲得するなどリーグを代表する安打製造機として知られ、引退後の2004年に「19」が永久欠番となった。

「51」トレバー・ホフマン選手

トレバー・ホフマン選手は、1989年のドラフトでシンシナティ・レッズから11巡目(全体290位)で指名され入団に至る。メジャーデビュー前にフロリダ・マーリンズへ移籍。1993年にマーリンズでデビューを果たすが、更にシーズン途中、パドレスへ移籍する。
1994年からクローザーに定着し、2010年まで1年を除き、毎年2ケタセーブを挙げている。積み上げたセーブの数はMLB史上第2位となる601個。MLB屈指のクローザーとして16年もの間、パドレスを支えてきたのだ。この栄誉を讃え、引退後の2011年にパドレスは「51」を永久欠番に選定した。

その他の永久欠番選手

「19」のトニー・グウィン選手、「51」のトレバー・ホフマン選手以外の永久欠番選手は、「6」のスティーブン・ガービー選手、「31」のデーブ・ウィンフィールド選手、「35」のランディ・ジョーンズ選手だ。
ガービー選手はロサンゼルス・ドジャースからパドレスに移籍し、巧打の一塁手として活躍。ウィンフィールド選手はパドレスでキャリアをスタートさせ、6球団を渡り歩き、3110安打を達成している大打者だ。ジョーンズ選手はシーズン22勝を挙げるなどエースとして活躍した投手だ。
これらの選手たちは、いずれも複数球団に渡って活躍した選手ということもあり、印象は少し薄いかもしれない。

まとめ

パドレスの永久欠番はやはりグウィン選手、ホフマン選手が有名だろうか。 近年は低迷しているが、スターの出現とともに常勝チームになることもよくある。 永久欠番となるような名選手の出現に期待したい。