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イチロー選手の次の目標MLBミネソタ・ツインズの永久欠番選手とは

2017 6/13 12:41hiiragi
ツインズ,ロゴ
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Photo by Frank Romeo / Shutterstock.com

2000年代初期にはポストシーズンの常連チームだった、MLBミネソタ・ツインズを覚えているだろうか。映画『メジャーリーグ3』の敵役になったチームだ。2011年には西岡剛選手も入団して話題になった。ここではミネソタ・ツインズのプロフィールや永久欠番選手を紹介しよう。

最悪の最下位から浮上はできるのか

ミネソタ・ツインズは、アメリカンリーグ中地区に所属するチームだ。1901年アメリカンリーグ創設時、ワシントン・セネタースの名前で設立された。現在のミネソタ・ツインズに改名されたのは1961年で、60年も後になってからだ。
セネタース時代はそれほど強いチームではなかったが、リーグ優勝が3度あり1度はワールドチャンピオンに輝いている。ツインズになってからは、地区優勝10回、リーグ優勝3回で、ワールドチャンピオンには2度輝いた。2000年代初期は地区優勝の常連だったが、2011年から勢いは衰え、2016年は103敗を喫し、中地区最下位に沈んだ。

「背番号3」573本塁打ハーモン・キルブルー選手

ハーモン・キルブルー選手は、1954年ワシントン・セネタースよりメジャーデビューを果たす。しかし、最初の数年間は、これといった成績は残せなかった。ところが、1959年いきなり42本で本塁打王に輝くと、1962年には48本塁打、126打点で2冠を獲得、1969年にも同じく2冠を獲得した。
キルブルー選手は22年間のキャリアで21年間をミネソタ・ツインズでプレーする。その間に獲得したタイトルは、本塁打王6回、打点王3回で、1969年は地区優勝に貢献、MVPに輝いた。キャリア本塁打数573本は歴代12位の記録だ。

「背番号6」8年連続オールスターゲームトニー・オリバ選手

トニー・オリバ選手は、1962年ミネソタ・ツインズよりメジャーデビューを果たした。レギュラー定着は1964年からだ。この年は217安打を放つと、本塁打32本、打率.323で首位打者を獲得、最優秀新人賞にも輝いた。以降15年間の選手生活をツインズ一筋にプレーして、首位打者3回、ゴールドクラブ賞1回に輝く。
レギュラーに定着した1964からは8年連続オールスターゲームに選出されているが、イチロー選手に抜かれるまでは最多連続記録だった。悪球打ちとしても有名で、コーチからは何度も注意されるものの、本人がそれでいいと思っていたようだ。

「背番号28」奪三振歴代5位、バート・ブライレブン投手

バート・ブライレブン投手は、1970年ミネソタ・ツインズよりメジャーデビューを果たした。新人ながら10勝を挙げ、チームの地区優勝に貢献する。翌年は16勝を挙げ、1973年には20勝を挙げるが、1976年のシーズン途中テキサス・レンジャーズに移籍する。
その後ブライレブン投手は数球団を渡り歩き、1985年途中ツインズに戻ってくる。そして1987年15勝を挙げ、チーム2回目のワールドシリーズ制覇に貢献した。
ツインズでの通算成績は149勝138敗だったが、キャリアでは287勝を挙げ、三振は3701個を奪い歴代5位の記録だ。2017年WBCではオランダの投手コーチとして来日、日本と死闘を演じた。

「背番号29」安打製造機ロッド・カルー選手

ロッド・カルー選手は、1967年ミネソタ・ツインズよりメジャーデビューを果たす。1年目は137試合に出場、打率.292とまずまずの成績だった。1969年には123試合の出場ながら、打率.332で首位打者を獲得する。
以降ツインズに在籍した1978年までの10年間に7度の首位打者に輝き、打率は一度も3割は切っていない。その間シーズン200本安打以上が4回あり、その中の3回は最多安打を記録した。
特に1977年の成績は素晴らしく、打率.388で安打数239、得点128はリーグトップだった。キャリア通算19年では打率.328で3053安打を残し、2016年時点で3030安打のイチロー選手の次の目標となっている。

まとめ

MLBアメリカンリーグ、ミネソタ・ツインズの略歴や、主だった永久欠番選手を紹介した。古いMLBファンの方には、ワシントン・セネタースの名前の方が通りがいいかもしれない。2016年は103敗もしてしまったが、何とかチームを立て直し、ポストシーズン常連へと戻ってほしいものだ。