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メジャーに必ず這い上がってくる男”川崎宗則選手”

2017 8/17 16:20cut
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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メジャー1年目のマリナーズでは幸先良いスタート

2011年のシーズンオフに川崎宗則選手は、ソフトバンクから海外FA権を用いてメジャーリーグ移籍を目指した。
日本に残れば3億円とも4億円とも言われていた年俸を捨て「マイナー契約でもいいから」と海を渡る。そんな、川崎宗則選手と契約をしたのは、憧れのイチロー選手の所属するシアトル・マリナーズだった。マリナーズはマイナー契約ながら、川崎選手と契約し春季キャンプに当たるスプリングトレーニングに招待選手として参加させたのだ。
メジャーリーグのスプリングトレーニングにおける招待選手は、数十名にも上り日ごとに数名ずつカットされながら日程をこなしていく。川崎選手はカットされること無く、スプリングトレーニング中に行われているオープン戦で好調を維持し開幕戦のロースター28名に選ばれる。
2012年シーズンのマリナーズは、アスレチックスとの開幕戦を東京ドームで行うことになっていた。遠い異国の地での開幕戦ということもあり、通常のロースター25名より3名多い28名がロースターと認められていたのだ。
日本での出場機会は訪れなかった川崎選手だが、アメリカに戻ってから行われた現地4月7日のアスレチックス戦でデビューを果たすと、2打席目で内野安打を放ち初安打、初打点をマークする。
マイナー契約で入団した川崎選手が、ほんとうの意味でマリナーズの一員になった日でもあった。
その後もマリナーズに帯同し61試合に出場する。守備固め、代走での起用がメインではあったがチームに貢献したことは間違いない。しかし、シーズン終了後に40人枠から外れマリナーズを自由契約となる。
川崎選手はこのオフも昨シーズンと同じようにチーム探しから始まったのだ。

2年目も移籍したブルージェイズでマイナースタート

スプリングトレーニングが始まる2月中旬になっても、川崎選手は所属チームが決まらなかった。日本に戻ってもおかしくないような状況でも川崎選手は諦めない。その甲斐もあり川崎選手はトロント・ブルージェイズと3月半ばに契約を結ぶ。1年目と同じくマイナー契約だった。川崎選手の2年目もマイナー契約からのスタートとなったのだ。
開幕からブルージェイズ傘下の3Aである、バッファロー・バイソンズでプレーを始める。メジャーリーグが開幕して1ヶ月経たないうちに、レギュラーショートであるホセ・レイエス選手が故障を発症し川崎選手はメジャーに昇格を果たす。
その後も故障選手が戻ってくると降格、次の故障者が出ると昇格を繰り返し川崎選手は便利屋として2年目を過ごす。出場試合数は1年目の61試合の約1.5倍となる96試合だった。川崎選手は故障者の穴埋めとしての役割をしっかりと果たしチームに貢献したのだ。
また、明るいキャラクターが売りの川崎選手はチームメートやファンに愛され人気者として現地のテレビ番組などにも出演を果たす。明るい気持ち、ポジティブな志向、こういったメンタルの強さが川崎選手をメジャーへと導いていたとも言えるだろう。

マイナースタートから1ヶ月でメジャー昇格の3年目

2年目のシーズン終了後に自由契約となった川崎選手だが、再びマイナー契約でブルージェイズと3年目の契約を結ぶ。毎年、年明け以降に契約が決まっていた川崎選手にとって初めての年内決着となった。マイナー契約とは言え、契約がある状態で年を越せたのは川崎選手にとっても良かったのではないだろうか。
川崎選手はシーズンを昨年同様にバイソンズで迎える。すると、メジャー開幕から1ヶ月も経たないうちに故障者が発生しメジャー昇格を果たす。川崎選手はマイナー契約ながら3年連続で4月中にメジャー昇格を果たすのだ。
シーズンでは2年目と同じように故障者の有無によってメジャー、マイナーを往復する。メジャーでは82試合、マイナーでは44試合の合計126試合に出場した。これは川崎選手にとって2016年現在でメジャー最高出場試合数になる。
シーズンを終えた川崎選手はFAとなり翌年のチームを探すことになった。

メジャー4年目に初めての優勝を経験

3年目のオフは年内に契約がまとまらず、2年ぶりに年越しとなった。オフシーズンは日本で過ごすことの多い川崎選手は参加したトークイベントなどで、日本復帰を示唆する発言をするなどいつも以上に注目を集めていた。
川崎選手の古巣であるソフトバンクも、川崎選手が着けていた「52」の背番号は移籍以来、空き番としており、日米を巻き込んだ争奪戦の様相もはらんでいた。しかし、川崎選手が選んだのはブルージェイズだった。トロントの街で川崎選手は、メジャー4年目のシーズンを戦うことを決意したのだ。
川崎選手にとっては当然のように4年目もマイナー契約でのスタートだ。ブルージェイズはこのシーズン故障者はあまりでず、川崎選手の初昇格は5月半ばに入ってからだった。
2015年のブルージェイズは、1993年以来22年ぶりに地区優勝を果たしポストシーズンに出場する。川崎選手はレギュラーではなく、故障者が出た際に昇格する便利屋から脱却できなかったが、持ち前の明るいキャラクターでチームに溶け込み初めてのシャンパンファイトに参加する。
ポストシーズンではロースターに入ることができなかったが、チームに帯同しチームをベンチから盛り上げる。そして、シーズン終了後にFAとなった。

ワールドチャンピオンとなった5年目

ブルージェイズで優勝を味わった川崎選手は5年目のチームとして選んだのは、若手が豊富で優勝候補にも挙げられていたシカゴ・カブスだ。メジャーリーグに移籍後、初めてとなるナショナルリーグへの移籍だ。また、優勝候補筆頭のチームでプレーするのも初めてのことだった。
川崎選手はカブスでもマイナーで開幕を迎える。カブスのマイナーでは日本でも活躍した元阪神のマット・マートンとチームメートになり食事に行く姿をSNSなどで共有していた。
カブスで川崎選手が初めてメジャーに昇格したのは4月上旬だ。レギュラー選手の今シーズン絶望というショッキングなケガがあり、川崎選手が一時的に代役として呼ばれたのだ。1週間ほどでマイナーに逆戻りするが、出場初戦でヒットを放つなど存在感をみせた。
以降も昇降格を繰り返し9月のセプテンバーコールアップでメジャーに合流後は、ワールドシリーズ終了までチームに帯同する。
ポジションが違うとは言え日本で首位打者も獲得し、今シーズンも打率.300を超えているマートンは一度も昇格できなかった。
マイナースタートでも腐らずにやるべきことをこなし緊急時に備える。そういった心を持っているからこそ、毎年のようにマイナースタートでもメジャーに昇格できるのだろう。
川崎選手の著書でもあるが「逆境を笑え」この精神で取り組んでいることが目に浮かぶ。