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平成10年 横浜-PL延長17回の死闘【平成スポーツハイライト】

2018 12/20 11:00SPAIA編集部
甲子園
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センバツでPL破って優勝

平成の高校野球史で名勝負をひとつ挙げるとしたら、この試合が選ばれるのではないだろうか。平成10年(1998年)夏の準々決勝、横浜-PL学園戦だ。「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔の熱投と、どこまでも食らいつくPL学園の真夏の熱戦は延長17回まで続いた。

横浜は同年センバツでもPLと戦っていた。3回戦で後にプロで360本塁打を放つ村田修一のいた東福岡を破り、準々決勝では郡山に完封勝ちして迎えた準決勝。対戦相手のPLには現在、楽天で監督を務める平石洋介、後に近鉄、オリックスなどで活躍する大西宏明、現在は日本テレビアナウンサーの上重聡、当時は2年生で卒業後に横浜にドラフト1位で入団した田中一徳らがいた。監督はこの大会限りで勇退を発表していた名将・中村順司だった。

7回が終わって2-0でリードしていたのはPLだった。横浜は8回表に追いつき、9回に勝ち越して勝利をもぎ取ると、決勝では後にプロで活躍する久保康友がエースだった関大一に完封勝ちし、紫紺の大旗を手にした。夏の大会は、横浜の春夏連覇なるか、怪物・松坂を打ち崩すチームが出現するのか、俄然、注目度が高まっていた。

一進一退の死闘、250球を投げ切る

第80回記念大会だった平成10年夏。2回戦で後にプロで142勝を挙げる杉内俊哉のいた鹿児島実業に勝つなど順当に8強進出をした横浜は、準々決勝でPL学園と再び激突した。

先制したのは春と同様、PLだった。2回に3点を奪うと4回にも1点を追加し、主導権を握ったかに見えた。しかし、横浜は5回に追いつくと、再び1点を勝ち越されたものの8回にまたしても追いつく一進一退の緊迫した展開となり、5-5で延長に突入した。

午前8時半開始で序盤は空席のあった甲子園も、いつの間にかぎっしり埋まり、5万人がまさしく息を呑む展開。11回表、横浜が勝ち越しの1点を奪い、この試合初めてリードするも、その裏、PLは大西のタイムリーで同点に追いつく。

16回にも横浜が勝ち越すが、PLはすぐさま同点に追いつく。マウンド上の松坂は肩で息をし、疲労の色がどんどん濃くなっていた。

迎えた17回表も2死となり、柴の打球がショート前に転がった瞬間、誰もがチェンジと思ったが、PLのショート本橋の送球はファーストから大きく逸れ、出塁を許した。 マウンド上の上重は「ドンマイ」と笑顔で本橋に声をかけたが、横浜は相手のミスを見逃さなかった。

次打者・常盤の会心の打球が右中間スタンドに突き刺さり、2点を勝ち越し。その裏、PL打線を三者凡退に抑えてようやく白星をつかみ取った松坂は、疲労困憊の様子でニコリともせずに整列した。

17イニング、計250球を一人で投げ切り、試合後のインタビューでは「明日の準決勝は投げません」と答えるほど死力を振り絞った熱投だった。

準決勝は逆転サヨナラ、決勝でノーヒットノーラン

翌日、明徳義塾との準決勝に松坂は先発せずレフトを守った。8回表終了時点で0-6とリードされていたが、その裏に4点を取って2点差に追い上げ、9回表に松坂が登板。スタンドが沸く中、きっちり無失点に抑えると流れは一気に横浜に傾いた。

9回裏になんと3点を奪って神がかった逆転サヨナラ勝ち。この年のドラフト4位でロッテ入りする明徳のエース・寺本四郎はグラウンドに突っ伏して泣いた。

そして松坂は京都成章との決勝でノーヒットノーランを達成。最高の形で春夏連覇を達成した。松坂と、松坂に牙をむいたハイレベルな「松坂世代」がいたからこそ、最高に盛り上がった大会だった。