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甲子園の名投手たちが残してきた記録、奪三振記録を持つ投手たち

2018 1/8 14:03Mimu
高校野球,ピッチャー
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圧倒的な通算奪三振数を持つ桑田真澄

戦後の通算奪三振数記録であれば、やはりPL学園時代の桑田真澄さんが最も多い。その数はなんと150個にもおよんでおり、エースとして1年生の夏から5季連続甲子園に出場している。そのうえ3年生の春を除き、すべて決勝戦まで進んでおり、25試合197回2/3イニングで150個の三振を奪った。通算20勝は戦後最多記録である。

ところで、なぜ戦前と戦後の記録を分けているのだろうか。戦前は高等学校ではなく中等学校で、今でいう旧制中学が大会に出場していた(高等学校自体はまた別に存在した)。

旧制中学は5年制だったため、5年間通った生徒は最大で9度も全国大会のチャンスがあったということになる。9度の出場を経験した選手はいないが、和歌山中学校(現:和歌山県立桐蔭高校)の小川正太郎さんは、8度出場している。

戦前には6度の甲子園で三振の山を築いた投手が

戦前の正式に記録が残っている奪三振記録は、唯一夏の甲子園で3連覇を達成した中京商業の吉田正男さんの203個だ。6大会に出場し、250イニングでこの数字を達成している。ちなみに勝利数でも桑田さんを上回る23勝をあげている。

しかし、時代ゆえ正確な記録が残っていないケースもある。例えば、明石中(現:兵庫県立明石高校)の楠本保さんの場合は、6大会158イニングでなんと223個の三振を奪ったそうだが、特に1930年の試合の記録は正確に残っていないため、これはあくまで参考記録としての紹介となってしまう。

ちなみに、この2人はどちらも1930年に活躍した選手であり、1933年の選抜大会では直接対決している。その際は吉田さんが7個、楠本さんが12個の奪三振を記録し、試合は明石中が1-0で勝利している。しかし、決勝点は押し出しのデッドボールというほどの、壮絶な投手戦であった。

また同年夏の大会でも両校は対戦しているが、楠本選手が体調不良のために出場していない。だがこの試合も延長25回の熱戦となり、吉田さんは336球19奪三振と力投。1-0で中京商業が勝利している。

1大会あたりの三振記録を持っているのはおなじみのあの人たち

1大会の奪三振記録を見てみよう。春の選抜では作新学院・江川卓さんの60奪三振、夏の甲子園では徳島商・板東英二さんの83奪三振が記録に残っている。どちらも野球ファンの方にとってはおなじみの名前だろう。

江川さんは3年生だった1973年の大会で、この記録を残している。下級生の時から怪物投手として大きな注目を集めていたが(1年生の秋季大会でノーヒットノーラン、2年制の夏の大会では平均三振率15.7に3試合連続ノーヒットノーラン)、この大会の成績はその実力をハッキリと物語るものとなった。

まず1試合目、強打で知られていた大阪の北陽高校を4安打19奪三振と圧倒的にねじ伏せると、続く福岡の小倉南高校で10奪三振(点差が開いたため7回で交代)、さらに愛媛の今治西戦では8者連続を含む20奪三振を記録。3試合で49個の三振を奪い、噂に違わぬ実力を発揮する。

そして準決勝の広島商業戦、相手はバットを短く持ち、ベースギリギリに立って内角を攻めづらくするという作戦をとる。それでも江川さんは毎回の11奪三振を記録し、これで大会通算60個に。それまでの記録である54奪三振を大幅に更新した。だが5回までに104球を投げるなど、相手の作戦も功を奏しており、とうとう8回にタイムリーを打たれ1-2で敗退。4試合34イングで60奪三振、強烈な印象を残して甲子園を去った。

延長再試合の熱闘によって大きく塗り替えられた奪三振記録

板東さんの記録は、3年生だった1958年の夏の大会で達成されている。1回戦の秋田商業戦で17奪三振、2回戦の福岡県立八女高校戦で15奪三振、たった2試合で32個もの三振を奪ったことになる。続く富山県立魚津高校戦は、球史に残る1戦となった。

この試合で板東さんは1点も与えずに9回を投げる。しかし、相手の村椿輝雄さんも1点も許さなかったため、0-0のまま延長戦に突入。その後も両者1点も与えることがないまま延長18回0-0の引き分けに終わった。この試合で板東さんは25奪三振を記録し、すでに57奪三振となっていた。

そして翌日の再試合で板東さんは腰痛に苦しんでいたものの、痛み止めを打って登板し、9回を投げて9奪三振を記録した(試合は3-1で勝利)。これで楠本保さんの大会記録である64奪三振を更新し、66奪三振となった。

さらに、3日連続の試合となった準決勝の作新学院戦でも1安打14奪三振と力投。これで記録を大幅に更新する80奪三振に到達した。しかし、決勝の柳井高校戦(山口県)では7失点3奪三振と力尽きてしまい、奪三振記録は83でストップ。最後は気力で投げ抜いたが、惜しくも優勝投手となることはできなかった。

1試合での記録は現在もプロで活躍するあの選手

最後は1試合での奪三振記録を紹介しよう。これについては9イニングでの記録と、延長戦での参考記録の2種類がある。春の選抜では、1963年大会でPL学園の戸田善紀さん(後に阪急や中日で活躍)が達成した9イニング21奪三振が大会記録であるが、延長戦を含めると1961年に米子東高校の矢滝伸高さんが記録した16イニング23奪三振が最高だ。

夏の甲子園では、延長戦での記録は上述した板東英二さんの25奪三振、9イニングなら松井裕樹投手の22奪三振が記録となっている。神奈川の桐光学園2年生だった2012年の甲子園、初戦の今治西戦だった。初回から四球を1つ出したものの、アウトすべてを三振で取る上々の立ち上がりで、2回も三者三振と完璧なピッチングを見せる。

圧巻だったのは6回からだ。1つめのアウトこそショートゴロだったものの、残りの2つのアウトを三振で奪う。すると7回、8回と2イニング連続の三者三振。結局9回ツーアウトまで三振で取り、10者連続三振を奪ったのだ。合計22奪三振に加えて、この10者連続三振も夏の甲子園記録として残っている。

球史に残る奪三振記録を持つ投手たちだが、意外に優勝した投手は少ない。今回紹介した中では、桑田真澄さんと、吉田正男さんの2人しか優勝を経験していないのだ。奪三振の多さは好投手の証であるが、必ずしも勝利に直結するわけではないというあたり、野球というスポーツの難しさを物語っている。