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激戦区神奈川から甲子園へ!横浜高校を振り返る

2017 8/25 10:07cut
高校野球
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筒香選手を始め一流選手がズラリ!

高校野球において全国でもトップクラスの激戦区でもある神奈川県。そのなかで毎年、トップ集団に位置しているのが横浜高校だ。春のセンバツ出場15回(優勝3回、準優勝1回/23勝12敗)、夏の選手権出場16回(優勝2回/33勝14敗)と甲子園通算56勝26敗の成績を残している。(2017年春のセンバツ終了時点)
優勝5回は6位タイ、甲子園通算56勝は智弁和歌山高校と並び14位タイ。神奈川県内だけでなく、全国有数の強豪校ということがうかがい知れる。近年は神奈川県内で東海大相模高校と二強体制を作り出していて、毎年夏の予選では雌雄を決しており高校野球ファン注目の的だ。

全国的な強豪校ということで、同校からは多くのプロ野球選手も輩出されている。現役では筒香嘉智選手(DeNA)を筆頭に松坂大輔選手(ソフトバンク)、近藤健介選手(日本ハム)、荒波翔選手(DeNA)、柳裕也選手(中日)、涌井秀章選手(ロッテ)、成瀬善久選手(ヤクルト)らが各球団で活躍。大阪桐蔭高校と並び球界の中心を担っていると言っても過言ではない。

松坂選手、筒香選手のように高校から直接、プロ入りを果たす選手もいるが、柳選手のように大学を経由してからの入団パターンもある。なにがなんでも、高卒からプロ入りというスタンスではないのも特徴の一つだ。

初出場、初優勝を飾った1973年春のセンバツ

横浜高校が初めて甲子園に出場を果たしたのは、1963年夏の選手権大会だった。初出場となった横浜高校は初戦から接戦に勝利し、準決勝へ進出。明星高校に敗れたものの、堂々のベスト4となった。

一方で、春のセンバツへ初出場を果たしたのは、夏の初出場から10年が経過した1973年のことだった。この大会は「怪物」こと作新学院高校のエース江川卓選手(元巨人)が甲子園に初登場。2017年現在でも破られていない1大会60奪三振を記録した大会でもある。江川選手率いる作新学院高校は、準決勝で達川光男選手(元広島)を擁する広島商業高校に敗退。

その広島商業と決勝で対戦したのが横浜高校だった。両校の一戦は0-0のまま延長戦に突入。11回表に決勝点を奪った横浜高校が3-1で勝利し、初出場初優勝を飾っている。

愛甲猛選手を擁し夏の選手権で初優勝

1973年春のセンバツで初優勝を飾った横浜高校だが、神奈川の予選は激戦区となっており同年の予選は突破できなかった。1963年の初出場から実に15年後の1978年が2度目の出場のこの大会では、愛甲猛選手(元中日他)が1年生エースとして背番号「1」で出場したものの、2回戦敗退と全国の壁に突き放された格好だ。

初めて夏の選手権を制したのは、愛甲選手が3年生となった1980年のことだ。この大会は早稲田実業学校のエース・荒木大輔選手(元ヤクルト)が「大ちゃん」フィーバーを巻き起こしていた年でもあった。

その早稲田実業学校と決勝で戦った横浜高校。愛甲選手は荒木選手との投げ合いを制し、6-4で勝利し3度目の出場で夏の選手権初優勝を果たしている。神奈川県勢において春夏の甲子園を制したのは法政二高以来で2校目の快挙となった。

1973年春のセンバツでは「怪物」こと江川選手、1980年夏の選手権では「甲子園のアイドル」こと荒木選手。こういった甲子園大注目の選手がいる大会で、横浜高校は優勝を飾ってきたのである。

18年後、横浜高校はその2人と並ぶスーパースターを輩出し甲子園を席巻した。

「平成の怪物」こと松坂大輔選手だ。

松坂大輔選手を擁して春夏連覇

1980年生まれの松坂選手は甲子園で5季連続出場を果たすなど、甲子園のアイドルとして全国的な人気を誇っていた荒木大輔選手にあやかって「大輔」と名付けられた。

横浜高校は松坂選手の暴投でサヨナラ負けを喫し、甲子園出場を逃した2年夏の神奈川県大会後から快進撃を見せる。秋の神奈川県大会、関東大会、明治神宮大会を制し春のセンバツへ出場を決める。この大会で松坂選手は5試合全てで完投勝利(3完封)を収める活躍。45回でわずか4失点、防御率0.80と圧倒的な成績を残し、新チーム結成後から無敗で春王者となった。このあたりから松坂選手を「平成の怪物」とファンは呼ぶようになっている。

この優勝から全国の高校球児達の合い言葉は「打倒横浜高校」、「打倒松坂大輔」となった。横浜高校は春のセンバツ後に行われた神奈川県大会、関東大会も制し、夏の予選へと突入する。1998年夏の選手権は第80回大会ということもあり、出場枠が増加。そのために、神奈川県も通常の1枠から2枠となり横浜高校は東神奈川地区の予選へ臨んでいる。
予選6試合で5試合が2ケタ得点を挙げるなど圧倒的な強さを誇り、春夏連続出場を果たした横浜高校。甲子園では神がかり的な試合を見せてくれた。

準々決勝ではPL学園高校と延長17回の死闘に勝利、準決勝では明徳義塾高校相手に8回6点ビハインドをひっくり返し逆転勝利。決勝では京都成章高校をノーヒットノーランで下す。松坂選手と横浜高校は史上5校目となる春夏連覇を達成した。

これ以降、横浜高校にはより多くの有望株が集まるようになり、強豪校への地盤を固めることとなっている。

渡辺監督から平田監督へ

横浜高校を長きにわたって引っ張ってきたのは渡辺元智(もとのり)監督だった。1965年にコーチへ就任し、1968年秋に24歳で監督へ昇格。以降、2015年夏の選手権大会予選まで50年近くにわたって指揮を執り続けていた。

横浜高校の甲子園出場31回中27回は渡辺監督時代となっており、多くの選手達を育てたのは渡辺監督と言っても過言ではない。その渡辺監督の後任として監督の座に座ったのは平田徹監督だった。

平田監督は横浜高校で2年、3年と2年連続で夏の選手権に出場。3年時は主将も任されていた選手だった。国際武道大学でもプレーしたのちに横浜高校へ戻りコーチとして選手を指導。2010年に部長となり2016年に監督となった。

偉大な渡辺監督の後任ということで1年目からプレッシャーも掛かったが、神奈川県大会を勝ち抜き2016年夏の選手権に出場。甲子園でも1勝を挙げている。平田監督は1983年生まれということもありまだ若い。今後、渡辺監督のように多くの選手を育ててくれることに期待したい。