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甲子園でノーヒットノーランを達成した名投手たち

2017 8/25 10:07Mimu
高校野球
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1920~30年代にはさまざまな名投手が記録を達成

その後は10年ほどノーヒットノーランの記録も出ていない時期が続いたが、1927年に広陵中(広島 現:広陵高校)の八十川胖(ゆたか)さんが史上2人目のノーヒットノーランを達成すると、それから30年代にかけて、たくさんの好投手たちがこの記録を達成していく。

1928年夏:伊藤次郎 京都 平安中(現:龍谷大平安高校)
1931年春:灰山元治 広島 広島商業
1932年夏:楠本保 兵庫 明石中(現:兵庫県立明石高校)
1932年夏:水沢清 長野 長野商業
1932年夏:岡本敏夫 熊本 熊本工業
1933年春:河合信雄 愛知 一宮中(現:愛知県立一宮高校)
1933年春:森田俊男 和歌山 海草中(現:和歌山県立向陽高校)
1933年夏:吉田正男 愛知 中京商(現:中京大中京高校)
1934年夏:長谷川治 和歌山 海南中(現:和歌山県立海南高校)
1936年夏:小林悟楼 和歌山 和歌山商
1938年春:野口二郎 愛知 中京商
1938年夏:浦野隆夫 大分 大分商業
1939年夏:嶋清一 和歌山 海草中 ※準決勝で達成
1939年夏:嶋清一 和歌山 海草中 ※決勝で達成

というように、30年代だけでもかなりの人数が達成した。達成した人物を見ても、野球殿堂入りを果たした人も見受けられる。

野球殿堂入りをはたした名投手たちも

中でも、中京商業の吉田正男さんは、史上初の夏の甲子園3連覇を達成した投手だ。春夏連覇や、夏の大会2連覇は複数校が達成しているが、3連覇となると、いまだ中京商しか達成していない。ノーヒットノーランの記録は、その3連覇がかかった1933年夏大会、初戦で達成されたという。
抜群のコントロールを誇り、特にアウトローへのストレートは打者が全く手が出ないほどだった。その後は社会人野球でも活躍し、アマチュア野球の発展に貢献。1922年に野球殿堂入りしている。

また同じ中京商業の野口二郎さんも、野球殿堂入りを果たしている。後に法政大学から東京セネターズへと入団し、1942年にはシーズン40勝、通算237勝をあげる大投手である。ノーヒットノーランを達成した1938年春の大会では、大会4試合をすべて完封し、記録は準決勝の和歌山代表の海草中学戦で達成された。
吉田さんと同じくコントロールが抜群であり、プロ入り後も無四球試合を57度記録。1948年の無四球試合13というのは、未だシーズン記録として残っている。

また嶋清一さんが1939年夏の大会で達成した、準決勝・決勝2試合連続ノーヒットノーランの話も欠かせないだろう。2試合連続での達成というのは、後にも先にも嶋さんしか達成していない、唯一の記録だ。前年は野口さんにノーヒットノーランの屈辱を味わった海草中であったが、翌年には最高の形で優勝を果たすことができた。
嶋さんは剛速球とキレのあるドロップボールが武器のサウスポーで、特にドロップはまるで垂直方向に落ちていたと打者が錯覚するほどだったそうだ。その後は明治大学に入学し、学生野球の発展に陣職。2008年に野球殿堂特別表彰を受けている。

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