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お見事!甲子園で起こった逆転劇を振り返る

2017 8/3 12:07cut
野球ボールとグローブ
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逆転の御三家

甲子園ではたびたび大逆転劇が起こる。かつては逆転勝ちの多い三校が「逆転の御三家」と呼ばれていた。宇部商業高校、報徳学園高校、PL学園高校の三校だ。
これらの高校はそれぞれ、「ミラクル宇部商」「逆転の報徳」「逆転のPL」とも異名が付いており、試合終盤に何かを起こしてくれるような雰囲気を醸し出していた。特に宇部商業高校は玉国光男監督が1975年から監督となり、2005年まで30年間に渡りチームを率い、逆転勝ちを数多く収めてきた。甲子園通算24勝をマークしているが、その初勝利も逆転勝利だった。
1983年夏の選手権2回戦で帝京高校と対戦した宇部商業高校。4-5と1点ビハインドの9回裏無死一塁の場面でこの日、本塁打を放っている浜口大作選手が逆転サヨナラ2点本塁打。本塁打を放っている選手ではあったが、送りバントが定石のこの場面で併殺打を恐れずに強攻策。その結果が逆転勝利に繋がった。
この試合、秋村謙宏選手が完投勝利を収めているが秋村選手は法政大学、日本石油から広島東洋カープへと入団。現役を引退後にプロ野球の審判員となり、2017年現在も現役の審判員として活躍している。

2016年夏:八戸学院光星vs.東邦:7回7点差からの逆転勝利

2016年夏の選手権大会2回戦「八戸学院光星高校 対 東邦高校」の一戦で大逆転劇が起こった。
この試合は八戸学院光星高校が7回表の時点で9-2と7点のリードし、ここから東邦高校は反撃を開始する。 7回裏に2点、8回裏に1点を奪い5-9と4点差まで追い上げて、9回裏最後の攻撃を迎える。9回裏、東邦高校は1点を返し6-9としたものの、2死一塁と万事休す。しかし、追い詰められた東邦高校はここから4連打でサヨナラ勝ちを収めたのだ。この攻撃中、球場全体が東邦高校を応援する異様な雰囲気となり、敗れた八戸学院光星高校の桜井一樹選手は「球場全体が敵に見えた」とも語っている。
最後の最後まで、あきらめなかった東邦高校ナインの執念が勝った試合となった。

2006年夏:帝京vs.智弁和歌山:2度の大逆転劇

高校野球史上で1試合最多となる7本塁打が記録されたのは、2006年夏の選手権・準々決勝「智弁和歌山高校 対 帝京高校」の一戦だ。この試合で帝京高校が2本、智弁和歌山高校が7本の本塁打を放ち記録を達成している。 しかし、この試合は本塁打記録だけではなく大逆転劇が起きた試合としても知られている。
8回が終わり智弁和歌山高校が8-4と4点のリードで迎えた9回の攻防。帝京高校は中村晃選手(現ソフトバンク)、杉谷拳士選手(現日本ハム)らの適時打などで一挙8点を奪い12-8と土壇場で4点のリードとなった。 帝京高校の大逆転勝利かと思われたこの試合だが、ドラマはその裏に再び訪れた。智弁和歌山高校は連続四球で無死一、二塁のチャンスから橋本良平選手(元阪神)が3点本塁打を放ち11-12と1点差に迫る。
その後、帝京高校の投手陣は制球が定まらず、四球、死球で再び塁上に走者がたまる。代打の青石裕斗選手が適時打を放ち同点。その後、1死満塁から押し出し四球を選び、智弁和歌山高校は13-12とサヨナラ逆転勝利を収めた。 杉谷選手は1球のみの投球で死球を与え降板したが、この試合の敗戦投手となっている。本塁打記録が生まれた試合は、このように9回に逆転劇が2回起きた試合でもあったのだ。

1998年夏:明徳義塾vs.横浜:8回6点差を逆転勝利

1998年夏の選手権大会は松坂大輔選手(現ソフトバンク)、横浜高校が最大の注目だった。春のセンバツを制した横浜高校はその後も連勝を重ねていた。春季神奈川県大会、関東大会、夏の選手権予選と勝ち抜き甲子園に出場。松坂選手の快投もあり順調に勝ち進む。
準々決勝ではPL学園高校と延長17回の死闘を演じ、松坂選手は250球を1人で投げきり完投勝利を収める。続く準決勝の相手は強豪・明徳義塾高校。松坂選手は疲労もあり先発から外れ左翼で出場していた。
松坂選手なしでは明徳義塾高校打線を抑えることができず、8回表で0-6と敗色濃厚。しかし、ここから横浜高校の逆襲が始まった。8回裏に後藤武敏選手(現DeNA)、松坂選手の適時打などで4点を奪い4-6と2点差に迫る。
9回表のマウンドには満を持して松坂選手が登板。明徳義塾高校打線を0点に抑え最後の攻撃を迎えた。横浜高校はこの攻撃で無死満塁のチャンスを作ると、後藤選手が2点適時打を放ち6-6の同点。その後、二死満塁から柴武志選手がサヨナラ適時打を放ち7-6と逆転勝ちを収めた。
8回6点ビハインドから奇跡の逆転勝ちを収めた松坂選手と横浜高校。決勝では京都成章高校相手にノーヒットノーランを記録し、春夏連覇を達成した。横浜高校はこの大会で延長17回の死闘、6点差を逆転勝利、決勝戦でのノーヒットノーランと劇的な勝利を収めていたのだ。

2004年春:東北vs.済美:ダルビッシュ選手の夢を砕くサヨナラ弾

東北高校のダルビッシュ有選手が注目を浴びていた2004年春のセンバツ。
ダルビッシュ選手は、1回戦の熊本工業高校戦でノーヒットノーランを達成。2回戦は平田良介選手(現中日)率いる大阪桐蔭高校戦を6回1失点で封じ込め、7回からはマウンドを真壁賢守選手に譲り勝利を収めている。そして迎えた済美高校との準々決勝。ダルビッシュ選手はコンディションが悪く、先発せず右翼での出場となった。
代役の先発となった真壁選手は、大阪桐蔭高校戦のように済美高校打線を封じ込め、9回表の時点で6-2と4点リード。準決勝進出まであとアウト3つまで迫っていた。だがここから済美高校の反撃が始まり、連打と内野ゴロで2点を奪われ6-4と2点のリードになる。しかし、2死無走者までこぎ着けアウトを1つ取るところまで追い詰めた。
後がない済美高校は、ここから連打で2死一、二塁のチャンスを作る。ここで、3番の高橋勇丞選手(元阪神)が、ダルビッシュ選手の頭上を越える右翼スタンドへの逆転サヨナラ3点本塁打を放ち、7-6と試合をひっくり返した。
済美高校は初出場ながら、優勝候補の東北高校を見事な逆転劇で破り、優勝を果たした。続く夏の選手権でも準優勝を飾り全国区の高校として名を馳せることになる。
このように、甲子園では土壇場での大逆転劇が往々にして起こる。点差が広がっても決してあきらめない、熱い高校球児達のプレーをこれからも追いかけていきたいものである。