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雪にも負けない根性のチーム!金沢高校野球部の歴史を紹介

2017 3/29 18:30TANANA
野球
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Photo by mTaira/shutterstock.com

北陸地方の雄として甲子園の常連校にもなった金沢は、北陸特有の気候というハンデにも負けず、数多くのプロ選手を輩出し、また名勝負を演じてきた。 今回はその歴史と、過去の名勝負などを紹介していく。

実績充分な金沢の部活動の歴史を探る

金沢は、1928年に金沢中学校として開校して以来、約90年の歴史を誇る。生徒数1,000人を超えるマンモス校であり、「質実剛健」を校訓とし、特にスポーツにおいて優秀な人材を次々と輩出してきた。 相撲界では横綱まで登りつめた輪島氏、女子ソフトボールでは北京オリンピック金メダル獲得に貢献した坂井寛子氏などがその代表だ。
野球部も2011年頃まで春夏甲子園の常連校として有名であり、さらにはプロに入団した選手が過去10人以上もいて、現在も主力として活躍している人も少なくない。

金沢の甲子園での実績と特殊な練習環境を紹介

1962年夏の全国大会に初出場以降、金沢は春夏合わせて甲子園に22回出場しており、春の選抜における2回のベスト8が最高位だ。また、明治神宮野球大会高校の部ではベスト4の経験もある。
これだけの実績を残している大きな要因は、その特殊な練習環境にあると言えるだろう。地理的に、特に冬の時期は大雪に見舞われグラウンドが満足に使えない状態もある中、金沢は室内練習をいかに効率よく行うかに全精力を注ぎこんできた。金属バットを使って安全に打撃練習ができるようにネットの大きさを調整したり、守備練習では選手同士の距離が近いという利点を生かして連携プレーに力を入れたりしたのだ。

金沢の名勝負を紹介。完全試合を達成した伝説の試合とは。

金沢が最も光り輝いた名試合は、1994年春の選抜大会だ。1回戦で島根県代表の江の川と対戦し、3年生エースの中野真博氏がまさに快刀乱麻のピッチングを繰り広げる。 速球とスライダーの絶妙なコンビネーションで凡打の山を築き、わずか99球で江の川打線をシャットアウト。3対0で勝利を収めるとともに、史上2人目の完全試合を達成した。
2017年現在、これ以降完全試合達成者は出ていない。続く大阪府代表のPL学園戦では敗れるものの12奪三振を記録し、この年の選抜大会に強烈なインパクトを残した。

エースとして存在感を示した金沢野球部OB

次に、金沢野球部の代表的なOB選手を紹介していこう。 2009年に金沢に入学した釜田佳直投手は、1年時からエースとして活躍し、3年時には春夏甲子園に出場、夏には3回戦まで進出し、通算防御率1.32の成績を残した。さらに同年のアジア選手権大会の代表に選ばれ、金メダル獲得に貢献する
。 ドラフトでは2位指名で楽天イーグルスに入団。1年目から先発としてローテーション入りし、楽天投手陣を支えて結果的に7勝を挙げ、チームの貴重な戦力となり続けている。最速153キロの球を投げられる剛腕ながら、各種変化球も自在に操り、緩急をつける能力に秀でている。

ユーティリティープレーヤーとして活躍した金沢野球部OB

1990年に金沢に入学した高須洋介氏は、高校3年時に春夏の甲子園に出場する。青山学院大学に進学すると、その才能が一気に開花。東都大学リーグでは内野手で3度のベストナインを獲得し、同大学の黄金時代を支えた。
そして、1997年のドラフト2位で近鉄バファローズに入団、後に楽天イーグルスで活躍した。内野ならどこでも守れるユーティリティ選手として守備で貢献するほか、バッティングでは2006年、2007年とリーグトップの得点圏打率を記録し、監督からも高く評価されるほどの勝負強い打撃を見せ付けたのだ。

まとめ

以上見てきたように、金沢野球部は地理的に練習環境がなかなか整わない中でも、不屈の精神で結果を残してきた。 2011年以降甲子園出場はかなっていないものの、多くのプロ選手を輩出するなどそのポテンシャルは計り知れないものがある。 再び最高の舞台での活躍が期待されているチームの1つと言えるだろう。