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岡山県の歴史ある伝統校・関西高校野球部を紹介!

2017 3/16 18:28出井章博
野球
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出典 mTaira / Shutterstock.com

岡山県最古の高校野球チーム関西高校野球部についてお伝えする。春夏通算21回の甲子園出場を果たすなど、その成績は輝かしいものだ。甲子園ではあるジンクスも作った。さらに、野球殿堂入りした名選手も輩出している。

岡山県最古の高校野球チーム

関西高校野球部の創部は1895年だ。岡山県の高校で最初に誕生した野球部だ。関西高校野球部の甲子園初出場は1948年の第30回の夏の甲子園。岡山一中が1921年の第7回の夏の甲子園に出場して以来の、岡山県勢としては2校目の出場だった。
その第30回大会では、1回戦で宮城県代表の石巻高校を9-5で勝利し、2回戦でも大阪府代表の天王寺高校にも4-2で勝利したが、惜しくも準々決勝の福岡県代表小倉高校戦は0-2で敗れてしまった。続けて1949年の春の選抜高校野球にも出場するが、その後は1960年の春の甲子園まで、しばらく甲子園から遠ざかってしまう。

関西高校野球部の甲子園での成績

関西高校野球部は、1960年の春の甲子園に出場した後、次に甲子園に登場したのは1982年の夏の大会だ。久々の甲子園は、1回戦で愛知県の中京高校に1-2で敗れた。その後1987年の夏の甲子園でベスト8、1995年の春の選抜高校野球でベスト4となる。
岡山県の高校野球は1965年の春の選抜高校野球で優勝した岡山東商業や星野仙一氏を輩出した倉敷商業、そして倉敷工業が引っ張ってきたが、90年代以降は関西高校が盟主だった。2007年春の甲子園でベスト8、2011年夏の甲子園でも再びベスト4に。2017年春の時点で、春夏通算21回の甲子園出場を誇る。

関西高校野球部にまつわるジンクス

関西高校野球部の甲子園にまつわるジンクスがある。それは、関西高校野球部に勝ったチームが甲子園で勝ち進むということだ。
2007年の春の選抜高校野球、関西高校は1、2回戦を勝利し、準々決勝は岐阜県の大垣日大と当たる。大垣日大は今でこそ強豪校だが、この年は希望枠で出ていた。その大垣日大に1-9で敗れた。その後、大垣日大は決勝まで勝ち進み、優勝は逃したものの、希望枠の高校として旋風を巻き起こす。
そして、2010年の春の甲子園は、1回戦で沖縄の興南高校と激突する。関西高校は1-4で敗れたが、その後興南高校は優勝を果たす。翌2011年春の選抜高校野球は、初戦で神奈川県の東海大相模と対戦する。関西高校は1-9で敗れたが、その後東海大相模は優勝した。関西高校に勝ったチームが3回続けて決勝に進んだのだ。

ジンクスを自ら破った2011年の夏の甲子園

関西高校野球部の名場面、ハイライトとして取り上げたいのは2011年の夏の甲子園だ。この時は、すでに関西高校に初戦で勝ったチームが決勝まで勝ち進むというジンクスがメディアでも取り上げられていたので、初戦は注目だった。しかも相手はその年の春の選抜高校野球で準優勝を果たした福岡県の強豪九州国際大付属高校だ。
この試合を3-2の接戦で制すと、続く3回戦は大分県の明豊高校に7-1、準々決勝も広島県の如水館高校を8-3で退ける。迎えた準決勝は西東京代表日大三高だ。この年の日大三高は最強打線。現阪神タイガースの高山俊選手、現日本ハムの横尾俊建(よこおとしたけ)選手がいた。関西高校は振るわず、4-14で敗れたが、ベスト4という輝かしい結果を残した。

野球殿堂入りも果たした大杉勝男氏を輩出

関西高校野球部は多くのプロ野球選手を輩出しているが、1人取り上げるとすれば、大杉勝男氏だろう。大杉勝男氏は、正確には経済的な理由で、途中で硬式野球部から軟式野球部に移動しているのだが、それでも社会人野球を経験した後、1965年にテストで東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)に入団している。
入団3年目にレギュラーを取り、名スラッガーとして鳴らした。通算2228安打、通算486本塁打。ホームラン王を2回、打点王を2回獲得した。1992年に肝臓がんで47歳という若さで亡くなったが、1997年に功績が認められ野球殿堂入りしている。

まとめ

岡山県の歴史ある伝統校、関西高校野球部についてお伝えした。関西高校野球部は岡山県で最初にできた高校野球のチームであり、現在でも岡山県内屈指の強豪校だ。プロ野球選手も多く輩出している名門チーム。これからも関西高校野球部から目が離せない。