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東海大甲府高校野球部の歴史とプロで活躍する選手の紹介

2017 3/8 20:01おおたき
野球
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Photo by mTaira / Shutterstock.com

東海大学甲府高等学校野球部は甲子園出場回数も多く、プロ野球選手を輩出してきた野球の名門校だ。東海大甲府の歴代の成績や卒業生についてまとめた。

東海大甲府の歴史

東海大甲府高校は山梨県甲府市にあり、全国に14校ある東海大学付属高校の一つでもある。東海大学に関連する高校は高校現代文明論を中心に授業が展開されるのが特徴だ。
1957年に前身である山梨商業高等学校が創立され、1974年に学校法人東海大学の傘下に入り東海甲府高等学校として発足した。1977年に東海大学甲府高等学校に校名を変更し、2014年に現在の校名となった。創立者である松前重義氏の思いを受け継ぎ、人生に情熱と生きがいを与える教育をモットーとしている。

野球部の歴史前半

東海大甲府は1981年に初めて第63回全国高校野球選手権大会に出場し甲子園行きをを果たすが、2回戦で惜しくも新潟県の新発田農業に4-3で敗れた。64、66回大会は3回戦で破れる。67回大会では準決勝まで駒を進めるが、山口県の宇部商業に7?6で敗れている。
その後も68回から70回まで連続出場を果たし、山梨代表としてこれまで熱い戦いを繰り広げてきたが、全国制覇には至っていない。春の選抜高等学校野球大会にも出場しており、1987年に準決勝でPL学園に敗れ翌年も出場し準々決勝で桐蔭学園に敗れている。

野球部の歴史後半

1992年74回大会では、3回戦で奈良県の天理に7-4で敗れ、約10年後の85回大会で久しぶりの甲子園出場を果たすが1回戦で広島県の広陵に3-0で敗れている。86回大会では、準決勝まで進み北海道の駒大苫小牧との大接戦の末惜しくも10?8で甲子園を去る。
その後はしばらく甲子園に手が届かず2012年94回大会では準決勝まで行き、青森県の光星学園に9?3で敗れたが、爪痕を残すことができた。96回大会では長野県佐久長聖に3-1で敗れ1回戦敗退、97回大会では3回戦で早稲田実業に8-4で敗れているが、コンスタントに甲子園出場を果たしている。

東海大甲府出身のプロ野球選手1

東海大甲府野球部出身でプロ野球に入った選手は数多くいる。古くは1988年ドラフト4位で読売ジャイアンツに入団した四條稔氏だ。久慈照嘉氏は1991年ドラフト2位で阪神タイガースに入団した。1988年にドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団した山口幸勇氏は春夏連続で甲子園出場を果たしてる。
1990年ロッテオリオンズに6位指名され入団したのは榎康弘氏だ。萩原淳氏は1991年ドラフトで2位指名を受けオリックスブルウエーブに入団している。199年にはドラフト6位で箕田卓哉氏が日本ハムファイターズに入団している。

東海大甲府出身のプロ野球選手2

2005年には東海大甲府で初となるドラフト1位指名を受け、村中恭兵選手が東京ヤクルトスワローズに入団した。2008年読売ジャイアンツより6位指名を受け入団したのは仲澤広基選手だ。2011年にはオリックスバファローズ、東京ヤクルトスワローズ、中日ドラゴンズからドラフト1位指名を受け、高橋周平選手が中日ドラゴンズに入団した。高橋選手は甲子園出場経験がなく、3球団から指名を受けるのは史上初の快挙だ。
2013年には日本ハムファイターズがドラフト会議で3度の抽選失敗を経て、1位指名をしたのは渡邉諒選手だった。東海大甲府はプロ野球で活躍できる選手を育てている。

まとめ

甲子園に出場できなくてもプロになって活躍する選手もいるほど実力者が集まっている野球の名門校、東海大甲府高校。甲子園出場の常連であり、今後日本一になる日も近いかもしれない。これからも要注目の高校だ。