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自転車競争の余興として始まった?オートレースの歴史を紐解く!

2016 12/21 10:03
>オートレース,ⒸShutterstock.com
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Photo by Avigator Fortuner/Shutterstock.com

ファンでも意外と知らないオートレースの歴史。 競技の歴史を知ることで、その競技にさらにのめり込んでしまうことってありますよね? そこでこの記事では、オートレースの誕生と発展、現在に至るまでの歴史をかいつまんで紹介したいと思う。

自転車競争の余興としてスタートしたオートレース

「オートレース」という名称は実は、「オートバイレース」を簡略化した和製英語である。1910年に不忍池で開催された自転車競争の余興としてスタートしたのがはじまりといわれている。その後の1914年に兵庫県にある鳴尾競馬場で、翌年に東京目黒競馬場で正式にオートレースが開催された。
技術の発展と共に普及していくかと思われたが、日中戦争により燃料の使用が困難になると同時に、オートレースも全面禁止になった。

競輪の成功をきっかけに「賭け」を楽しむオートレースに変化

オートバイが普及すると共にオートレースも盛んになり、1949年には多摩スピードウェイで「全日本モーターサイクル選手権大会」が開催された。この大会にはおよそ3万人の観客が押し寄せたという記録が残っている。しかし、この当時は現在とは違い、オートバイの「走り」を楽しむのがメインだった。
1948年に賭けごとを楽しむための競輪がスタートして成功を収めたことをきっかけに、オートレースにも「賭け」を望む声が押し寄せた。そこで、1950年に千葉県が船橋オートレース場を舞台にオートレースを開催。10万人近い来場者数を記録している。

オートレースはオートバイの品質と技術水準を高めるための重要な要素

1950年に本格的にオートレースが開催されると、翌年の1951年には園田オートレース場で兵庫県が主催するレースが、同年には長居オートレース場で大阪市が主催するレースが立て続けに開催された。この時にはすでに、現在も採用されている距離ハンデレースが導入されている。
なお、オートレースのそもそもの目的は、国産オートバイの品質を高めるとともに、オートバイ工業における技術の水準を底上げするところにある。

元SMAPの森且行選手のオートレース転身で一般層からも注目を浴びる

1996年5月に森且行がSMAPを脱退してオートレース選手に転向したことで、世間を大いに賑わせた。それと同時に、それまでオートレースに興味を示さなかった一般層のファンを獲得するに至った。それを物語るのが、1997年7月に川口オートレース場で開催されたレースです。デビュー戦にもかかわらず、森且行選手見たさに約3万5000人ものファンが押し寄せた。 その後、着実に実力をつけた森且行選手は、25期生の「新人王決定戦」で見事優勝。SMAPとしてではなく、オートレース選手・森且行として、ポカリスエットやユニクロのCMにも出演している。

66年の歴史に幕を閉じた船橋オートレース場

1950年にはじめてオートレースが開催された船橋オートレース場。発祥の地として半世紀以上にわたって親しまれていたが、2016年3月に閉鎖されてしまった。最終日のレースには、およそ1万3000人のファンが訪れた。
閉鎖の要因はいうまでもなく経営難である。オートレースの全盛期といわれている1990年には約744億円もの売上を記録している船橋オートレース場だが、最近ではその頃の7分の1の100億円にまで落ち込んでいるといわれている。
これは船橋オートレース場に限らず、どこのオートレース場も同じ。つまり、今後、オートレースが存続していくのもいばらの道といえるだろう。

まとめ

いかがだろうか? 実は100年以上も前にオートレースの前身となるレースが開催されていたとは意外だろう。 全盛期に比べかなり落ち込んでいるオートレースだが、末長く存続していけるように、大いに盛り上がって欲しいものだ!