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ラーメン屋でバイトも!?オートレース選手・青山周平選手の壮絶な過去

2016 12/16 11:07
オートレース,Shutterstock.com
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Photo by PRILL/Shutterstock.com

現在はトップオートレーサーとしてのオートレースの世界で第一線で活躍する青山周平選手。 オートレースの選手に転向する前はロードレーサーとして輝かしい成績を残しています。 そんな青山周平選手の現在に至るまでの生い立ちについてご紹介したいと思います。

オートレースに転身前はロードレーサーとして活躍

弱冠3歳にしてポケバイに乗りはじめると、10歳にはミニバイクを運転していた青山周平選手。
2001年には、全日本ロードレース選手権GP125に参戦。この年の「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」に輝くなど、年間ランキングで8位を獲得しています。2004年からは「GP250クラス」に転向すると、ランキング2位になり、「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」にも輝いています。2005年には年間チャンピオンに、2006年からは250ccクラスのロードレース世界選手権に参戦するなど、若くから活躍しました。

数々のタイトルを受賞するも、2008年にはブランクに……

その後も2007年に開催された日本GPの第15戦でポールポジションを記録するなど、同年の年間ランキングを11位でフィニッシュ。これまでロードレーサーとして、ルーキー・オブ・ザ・イヤーをはじめとした数々のタイトルを獲得してきた青山周平選手でしたが、2008年から参戦した「スーパーバイク世界選手権」では年間にしてわずか5ポイントしか獲得することができず、シリーズランキング30位という結果でその年の幕を閉じました。

契約金の小切手が不渡りになり、近所のラーメン屋でアルバイト

そんな2008年シーズンを終え、翌年の2009年にはレギュラーシートを獲得できなかった青山周平選手。
さらに不運は続きます。前年所属していたチームからもらった契約金の小切手が不渡りになってしまい、途方に暮れた青山周平選手は、自宅近所にあるラーメン屋「麺や紅丸」でアルバイトをすることに……。それでも再度レース参戦への夢を諦めることはできず、「ロードレース世界選手権第2戦もてぎ(250ccクラス)」においてワイルドカード参戦、見事6位という好成績でフィニッシュを決めます。

復帰を果たすも、新たな所属先が見つからず……

これをきっかけに復帰を果たした青山周平選手。
「スペイン選手権(エクストリームクラス)」および「ロードレース世界選手権(250ccクラス)」の後半4戦を同時に走る活躍を見せ、「ロードレース世界選手権(250ccクラス)」では、すべてのレースにおいてポイントを獲得する好成績を残し、見事復活を遂げました。
しかし、2010年シーズンにおける世界選手権への復帰を目指して「Moto2・125ccクラス」のチームと交渉におよびましたが、結果、契約には至りませんでした。

オートレース選手に転向して再起を果たした青山周平選手

そんな青山周平選手でしたが、2010年2月8日に自身のブログで今後はオートレース選手を目指すことを発表しました。そして、同年の6月4日に発表された「第31期オートレース選手候補生第2次試験」において、過去のロードレーサーとしての成績が認められ特例で合格を果たすと、2011年7月30日にオートレーサー青山周平として鮮烈なデビューを飾りました。
その後はGI優勝9回、GII優勝3回、賞金王、年間最多優勝選手など、オートレースの選手としていくどとなく輝かしい成績を残しています。

まとめ

いかがでしたか? 現在はトップで活躍する青山周平選手ですが、ロードレーサー時代は大変な過去を経験してきました。 そんな経験があったからこそ、厳しいオートレースの世界で長きにわたって活躍できているのかもしれませんね。 今後の青山周平選手の活躍にもぜひ期待したいところです!